小島一枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ニックジャガー (会話 | 投稿記録) による 2020年10月19日 (月) 09:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎来歴: 椙山女学園中学校・高等学校のリンクを修正。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小島一枝 c.1936

小島 一枝(こじま かずえ、1916年10月30日 - 1992年[1])は日本水泳選手

来歴

和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身。紀の川で泳いだ。近代水泳黎明期を代表する名選手として知られた。ロサンゼルスオリンピックベルリンオリンピックの競泳日本代表として活躍した。ベルリンでは400メートル自由形で6位入賞。この順位は、自由形女子としては千葉すずが後に並ぶまで日本選手団の最高位だった(のちにアテネオリンピックにて柴田亜衣が800メートル自由形で優勝したことで最高位を更新)。

日本選手権では女学校時代に200メートル自由形で7-9回大会まで3連覇[2]、100メートル自由形でも7回大会に勝っている。同郷の前畑秀子と親交が厚かった。椙山女学園中学校・高等学校には数々の偉業を称えられて建立された小島自身の銅像が存在している。

日本代表歴

脚注

外部リンク