小佐々氏
小佐々氏 | |
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七ッ割平四ッ目 (ななつわりひらよつめ) | |
本姓 | 宇多源氏佐々木流小佐々氏 |
家祖 | 宇多天皇 |
種別 | 武家 |
主な根拠地 | 近江国、肥前国 |
著名な人物 |
小佐々弾正定信 小佐々弾正純俊 小佐々兵部純吉 中浦ジュリアン(幼名・小佐々甚吾) 小佐々市右衛門前親 小佐々健三郎祐利 |
支流、分家 |
多以良小佐々氏(多以良殿) 中浦小佐々氏(中浦殿) 松島小佐々氏(松島殿) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
小佐々氏(こざさし)は、日本の氏族。宇多天皇を太祖とし敦実親王を初代とする第17代近江守佐々木満信一族が、室町幕府4代将軍足利義持の倭寇取締りの命により、肥前国小佐々村へ下向した肥前小佐々氏の三本家が有力な家系である[1][2][3][4]。戦国時代には、西海の西彼杵半島西岸から五島灘海域を領有支配して、松浦水軍と対峙して海戦(船戦)で領海を防衛した「小佐々水軍」と呼ばれた有力な水軍勢力であり、また天正遣欧少年使節で有名な中浦ジュリアン(幼名・小佐々甚吾)を輩出した一族である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18][19]。江戸時代には、肥前大村藩の家老・中老・者頭などの重職を歴勤しており、また幕末の戊辰戦争では勤王派大村藩の東征軍や北伐軍の隊長や分隊長を務めて活躍した[1][4][5][20][21]。
概要
宇多源氏小佐々氏の家系は、宇多天皇を太祖とする宇多源氏(近江源氏)嫡流の佐々木定綱の後裔であり、応永年間に室町幕府4代将軍足利義持の倭寇取締の命により、宇多源氏第15代の近江守佐々木満信が次男の佐々木時信一族を伴って肥前国小佐々村に下向して、小佐々浦の小城多(おきた:沖田)城に居城しており、地名から小佐々氏を称した[1][2][3][4][5]。小佐々氏は北方の松浦水軍(倭寇)の南下阻止のため、小佐々氏中興の祖とされる第21代の小佐々弾正大弼定信は、戦国時代が始まる応仁元年(1467年)に西彼杵半島西岸の多以良(たいら)村の城ノ辻山に城を構えて、大手口の小峰の居館に本拠を移して一族全員が居住したのである[1][2][3][4][5]。小佐々氏は西彼杵半島の五島灘沿岸の在地領主である外浦(ほかうら)衆の惣領家となり、小佐々水軍として七釜港(鳥崎港、現・西海市西海町七釜)を水軍基地、小佐々水軍城(小佐々城・城の辻古城・城ノ辻城址・多以良城、現・西海市大瀬戸町多以良内郷 字城(しろ)・字小峰(こみね)・字田平(たのひら)・字道目木(どうめぎ))[1][4][5][6][7][8][9][10][11][12][22][23][24][25][26][27][28][29][30][31][32]を本城とし、中浦城(現・西海市西海町中浦)と松島城(現・西海市大瀬戸町松島)を支城にして、西彼杵半島西岸北端の面高(現・西海市西海町面高)から南端の三重(現・長崎市三重町)と西方海上の五島列島近くの平島(現・西海市崎戸町平島)までの島嶼部にも出城を築いて、九州北西海域(西海)の五島灘を領有支配した。小佐々水軍は、中国や朝鮮半島などの海外交易、西海航路の要衝である寺島水道と角力灘の海上関料(警護料)、五島灘と大村湾とを陸路で結ぶ北往還と南往還の通行関料、中浦の隠し金山経営や馬生産などで栄えた[1][2][3][5][13][16][27]。肥前国大村藩作成の『大村郷村記』「中浦村」の「由緒之事」にも、戦国時代初期から江戸時代初期の万治3年(1660年)まで、小佐々氏が中浦村の領主であり、知行していたことが記されている[1][3][5][6][14]。また、戦国時代の西肥前では、小佐々弾正や小佐々兵部の名は代々西海の勇将として知られていた[2][15][16][27]。
小佐々氏の名を最初に記録した史料は、鎌倉時代の寛元2年(1244年)の山代文書[33]であり、小佐々太郎重高の名が記載されている[34]。南北朝時代の建徳2年(1371年)に九州探題今川了俊の初巡見を迎えた松浦党の中に小佐々備前守、小佐々守童丸、小佐々三郎入道の名が[35]、またその後の松浦党の一揆契諾状の署名の中に こささ備前守の名がある[35]。これらの史料の記載から、宇多源氏佐々木氏の下向以前の小佐々村には松浦党の小佐々氏が居住していたことは史実である。一方、佐々木盛綱の子孫の佐々木小四郎が小佐々村に下り、小佐々小四郎と称して矢岳太守になり、各種の事蹟を残したとの伝承があるが、佐々木盛綱は前述した宇多源氏小佐々氏の先祖である佐々木定綱の弟であり、佐々木氏系図には盛綱の子孫に小四郎なる人物は存在しないため不詳とされている[36]。
脚注
- ^ a b c d e f g h 小佐々学「福者中浦ジュリアンと中浦城主小佐々氏の家系 -中浦城主家子孫に伝わる源姓小佐々氏系図について-」『キリシタン文化研究会会報142号』キリシタン文化研究会 上智大学、2013年。
- ^ a b c d e f 小佐々学「小佐々弾正・甚五郎塚と中浦ジュリアン」『大村史談48号』大村史談会、1997年。
- ^ a b c d e f 小佐々学「小佐々水軍と中浦ジュリアン」『大村史談51号』大村史談会、2000年。
- ^ a b c d e f 大村藩「巻之九 小佐々氏」『新撰士系録』大村市史料館蔵。
- ^ a b c d e f g 脇田安大「第Ⅱ部 西海地区のキリスト教、3. 中浦ジュリアンと小佐々水軍・4. 小佐々一族の関連遺跡」『世界遺産公式ガイドブック 「探訪 長崎の教会群」 大村・西海外海編』長崎の教会群情報センター、2018年。
- ^ a b c 西海町教育委員会「第二編歴史 第二章ヨーロッパ世界との出会い 第一節西欧キリスト教文化の伝来と横瀬浦 二当時の日本・その時代環境-海洋事情をまじえて-」『西海町郷土誌』西海町、2005年。
- ^ a b 小佐々学「小佐々水軍城とその関連遺構 -戦国期に五島灘を支配した小佐々水軍の本城と居館群跡-」『城郭史研究 23号』日本城郭史学会、2003年。
- ^ a b 西ケ谷恭弘・光武敏郎編「小佐々水軍城(長崎県)」『城郭みどころ事典 西国編』東京堂出版、2003年。
- ^ a b 藤野保編「多以良村、古城蹟之事・城の辻古城」『大村郷村記 第五巻』国書刊行会、1982年。
- ^ a b 大瀬戸町編「第五節 郷土の史跡 1.乱世の古城跡 (2)多以良の古城跡、2.先人の墓所 (6)小佐々氏の古廟」『大瀬戸町郷土誌』大瀬戸町、1996年。
- ^ a b 小佐々学「東アジアと西海の城 -小佐々水軍城を中心として-」『城郭史研究 35号』日本城郭史学会、2015年。
- ^ a b 丸山雍成「第十一章 近世城郭への二つの途 三 戦国城郭の調査方法」『前近代日本の交通と社会 日本交通史への道1』吉川弘文館、2018年。
- ^ a b 西日本文明交流史取材班「天正少年使節 中浦ジュリアン」『西日本文明交流史・海を駆けた人たち』西日本新聞社、1994年。
- ^ a b 藤野保編「中浦村、由緒之事」『大村郷村記 第五巻』国書刊行会、1982年。
- ^ a b 外山幹夫『大村純忠』静山社、1981年。
- ^ a b c 小佐々喬志「崎戸本郷における浜迫の祭祀行事」『大村史談51号』大村史談会、2000年。
- ^ 日本史広辞典編纂委員会 編「中浦ジュリアン」『日本史広辞典』山川出版、1997年。
- ^ 永原慶二 監修「中浦ジュリアン」『岩波日本史辞典』岩波書店、1999年。
- ^ 外山幹夫 著「長崎県の名族・小佐々(こざさ)氏」、オメガ社 編『日本の名族十一・九州編Ⅰ』新人物往来社、1989年。
- ^ 小佐々学 監修「大村藩家老小佐々前親と義犬華丸の墓」『義犬華丸ものがたり』長崎文献社、2016年。
- ^ 小佐々学「戊辰之役 北伐軍大村一番隊人別」『大村史談52号』大村史談会、2001年。
- ^ 西ケ谷恭弘編「小佐々水軍城」『探訪 日本の名城7. 海に臨む名城』夢みつけ隊、2003年。
- ^ 西ケ谷恭弘編「象徴としての城」『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版、2008年。
- ^ 児玉幸多監修「小佐々城」『日本城郭大系 17巻 長崎・佐賀』新人物往来社、1980年。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編「小佐々城」『角川日本地名大辞典 42長崎県』角川書店、1987年。
- ^ 長崎県庶務課史誌掛「多以良村、城ノ辻城趾」『西彼杵郡村誌』長崎県、1885年。
- ^ a b c 小佐々学「中浦ジュリアンを生んだ西海の歴史と風土」『長崎県地方史だより 68号』長崎県地方史会、2009年。
- ^ 長崎県教育委員会編「多以良城」『長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ詳説編』長崎県教育委員会、2011年。
- ^ 丸山雍成「近世城郭への二つの途」『海路 11号 戦国・織豊期の九州の城郭』海鳥社、2013年。
- ^ 西ケ谷恭弘「日本の城石垣の歴史と北九州の戦国・織豊期の城石垣」『海路 11号 戦国・織豊期の九州の城郭』海鳥社、2013年。
- ^ 伊藤一美「中世小佐々氏と小佐々水軍城の城下機能」『海路 11号 戦国・織豊期の九州の城郭』海鳥社、2013年。
- ^ 小佐々学「小佐々水軍城と西海の城 -東アジアの城郭との関わりについて-」『海路 11号 戦国・織豊期の九州の城郭』海鳥社、2013年。
- ^ “松浦山代家文書”. 文化遺産オンライン
- ^ 瀬野精一郎 編『松浦党関係史料集 一』続群書類従完成会、1996年。
- ^ a b 瀬野精一郎 編『鎮西御家人の研究』吉川弘文館、1975年。
- ^ 小佐々町郷土史編纂委員会『小佐々町郷土史』小佐々町教育委員会、1996年。