富山田地方駅

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富山田地方駅
富山田地方駅付近。
当該区間は立山線と本線の単線並列だが
ホームがあるのは本線側のみ。
とやまでんじがた
Toyama-Denjigata
電鉄富山 (0.7 km)
(1.0 km) 稲荷町
所在地 富山県富山市千歳町
北緯36度41分54.7秒 東経137度13分13秒 / 北緯36.698528度 東経137.22028度 / 36.698528; 137.22028 (富山田地方駅)
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 本線
キロ程 0.7 km(電鉄富山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1931年昭和6年)8月15日
廃止年月日 1969年昭和44年)4月15日
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富山田地方駅(とやまでんじがたえき)は、かつて富山県富山市千歳町にあった富山地方鉄道本線廃駅である。

当駅を含む電鉄富山駅 - 稲荷町駅間は現在では本線の複線区間だが、当駅廃止直前の1969年昭和44年)4月1日までは本線と立山線との単線並列扱いであり、富山田地方駅は本線側の線路にのみプラットホームが設置されていた。

沿革

概要

富山電気鉄道線富山田地方駅 - 上市駅間及び寺田駅 - 五百石駅間開業当時の新聞

当駅は1931年(昭和6年)8月15日に富山電気鉄道線当駅 - 上市駅間及び寺田駅 - 五百石駅間開業と同時に開業した[1]。開業当時には当駅 - 富山駅間が未だ工事中であったため、同社線の始発駅としての開業であった[2]。同年10月3日には当駅 - 電鉄富山駅が開業し、途中駅になっている[3]。既に当駅周辺には富岩鉄道富山口駅富山市営軌道の東田地方停留場が開業しており、各路線の乗換客が多くあったといわれる[4]

しかるに昭和40年代において当駅の利用者数が最盛期に比して半減していたこと、北陸本線及び富山港線を含めた東田地方踏切の立体交差化計画の浮上、電鉄富山駅改良計画に伴う移設によって更に駅間距離が短くなると予想されたことなどから、当時富山地方鉄道が進めていた駅廃止計画の候補として真っ先に挙げられ、これにより1969年(昭和44年)4月15日廃止となった[5][6]

年表

  • 1927年昭和2年)6月18日 - 大岩鉄道(後の富山電気鉄道)が富山市東田地方より中新川郡大岩村の鉄道敷設免許を受ける[7]
  • 1930年(昭和5年)1月30日 - 大岩鉄道が既存免許の起点を富山駅に変更し、経由地を中新川郡上市町として、更に中新川郡三郷村及び中新川郡五百石町方面に支線を敷設する免許変更申請の認可を受ける[8]
  • 1931年(昭和6年)
  • 1943年(昭和18年)1月1日 - 富山電気鉄道が富山地方鉄道となり、当駅は富山地方鉄道本線所属駅となる[8]
  • 1968年(昭和43年)10月24日 - 熊野富山地方鉄道副社長が富山商工会議所常議員会において当駅の廃止方針を表明する[6]
  • 1969年(昭和44年)4月15日 - 利用者の減少により廃止[8]

出典

  1. ^ a b 『官報』、1931年(昭和6年)8月26日、内閣印刷局(683頁)
  2. ^ 『北陸タイムス』(4面)、1931年(昭和6年)8月15日、北陸タイムス社
  3. ^ a b 『官報』、1931年(昭和6年)10月10日、内閣印刷局(290頁)
  4. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(32頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  5. ^ 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』(531頁)、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道
  6. ^ a b 「田地方駅(地鉄)を廃止 近くダイヤ改正に合わせ」、『北日本新聞』(11面)、1968年(昭和43年)10月25日、北日本新聞社
  7. ^ 『官報』、1927年(昭和2年)6月22日、内閣印刷局(581頁)
  8. ^ a b c 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道

隣の駅

富山地方鉄道
本線
電鉄富山駅 - 富山田地方駅 - 稲荷町駅

参考文献

  • 日本国有鉄道営業局総務課編、『昭和41年3月1日現在 停車場一覧』、1966年(昭和41年)3月、日本国有鉄道(粁程等は同書による)