富山口駅

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富山口駅
駅入口(2005年10月)
とやまぐち
Toyamaguchi
富山 (0.7 km)
(1.6 km) 下奥井
地図
所在地 富山県富山市城北町8
北緯36度41分55.8秒 東経137度13分14.5秒 / 北緯36.698833度 東経137.220694度 / 36.698833; 137.220694座標: 北緯36度41分55.8秒 東経137度13分14.5秒 / 北緯36.698833度 東経137.220694度 / 36.698833; 137.220694
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 富山港線
キロ程 0.7 km(富山起点)
電報略号 トク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
142人/日(降車客含まず)
-2005年-
開業年月日 1924年大正13年)7月23日
廃止年月日 2006年平成18年)3月1日
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富山口駅(とやまぐちえき)は、富山県富山市城北町にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)富山港線廃駅)である。

歴史[編集]

1924年大正13年)7月23日、当駅は富山県上新川郡奥田村稲荷に富岩鉄道の始発駅として開業した[1]。当時富岩鉄道が当駅 - 富山駅間の工事を行わなかったのは、富山駅構内における飛越線建設計画に伴う整備計画が未了であったことや神通川廃川地処分問題が残っていたためであったといわれる[2]。開業当初の当駅には駅舎は小ぶりながらも、「いわせゆき電車」と書かれたネオンサイン灯が立てられていた[3]

その後、飛越線建設工事が順次進捗したので、1927年昭和2年)1月に当駅 - 富山駅間の鉄道敷設免許を取得し、同年12月15日より同区間において貨物運輸営業を開始した[4][5]。この時に開始されたのが貨物運輸営業のみであったのは、富山駅構内における旅客ホームとそこに通ずる連絡地下道が完成していなかったからで、これら設備の完成した1928年(昭和3年)7月11日に至って同区間における旅客運輸営業は開始された[5]。これにより富岩鉄道線における1928年(昭和3年)度の旅客数は前年度の86万人から103万人へと増加し、貨物も1928年(昭和3年)度には8081トンであったが、1929年(昭和4年)度には1万3091トンにまで増え、この後も毎年輸送需要は増大していったという[5]

当駅は国有鉄道との連絡には不適であったものの、1928年(昭和3年)10月21日富山市営軌道の東田地方停留場が開業し[6]、1931年(昭和6年)8月15日に富山電気鉄道線の富山田地方駅が開業すると[7]、各路線の乗換客によって賑わいを見せるようになった[8]。周囲には「新宿商店街」が形成され[9]、映画館や飲み屋街が立ち並び、殷賑を極めたといわれる[10]

しかし、周辺工業地帯の衰退や富山田地方駅の廃止等の要因によって漸次衰退し[10]、1972年(昭和47年)10月1日には無人駅となった[11]。その後、1987年(昭和62年)5月26日には東田地方踏切立体交差化に伴う富山港線路線変更工事の影響により当駅は移設され[12][13]、開業以来用いられていた駅舎は解体された[14]

2003年(平成15年)11月27日に富山市が発表した富山港線の路面電車化計画においては、岩瀬浜駅 - 奥田中学校前踏切間は既存線路を利用するものの同踏切前からは道路上に軌道を新設して富山駅北に乗り入れ、富山口駅附近の路線は廃止するものとされた[15][16]。元来、北陸新幹線の整備に伴う富山駅高架化工事によって当駅 - 富山駅間は、北陸本線の仮設線路を敷くために移設を求められていたのである[16]。これにより富山口駅は2006年(平成18年)2月28日をもって営業を終了、翌3月1日付で廃駅となった[17]

年表[編集]

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[23]。1972年(昭和47年)10月1日より無人駅であった[11][14]

開業以来の木造駅舎は1987年(昭和62年)5月26日の駅移設に伴い解体された[23][14][13]

利用状況[編集]

「富山県統計年鑑」によると、当駅の1日平均乗車人員は以下の通りである[24]

年度 1日平均
乗車人員
1995年 189
1996年 203
1997年 196
1998年 180
1999年 176
2000年 177
2001年 168
2002年 165
2003年 155
2004年 143
2005年 142

駅周辺[編集]

隣の駅[編集]

西日本旅客鉄道(JR西日本)
富山港線
富山駅 - 富山口駅 - 下奥井駅

脚注[編集]

  1. ^ a b 『官報』(71頁)、1924年(大正13年)8月5日、内閣印刷局
  2. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(27頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  3. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(61頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  4. ^ 草卓人編、『鉄道の記憶』(483頁)、2006年(平成18年)2月、桂書房
  5. ^ a b c 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(34及び35頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  6. ^ 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(36頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  7. ^ 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(37頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  8. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(32頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  9. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(34頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  10. ^ a b 奥田郷土史編集委員会編、『奥田郷土史』(486頁)、1996年(平成8年)4月、奥田郷土史刊行委員会
  11. ^ a b c 「西入善など6駅を無人化 金鉄局 東岩瀬は専用線扱い」、『北日本新聞』(17面)、1972年(昭和47年)5月20日、北日本新聞社
  12. ^ a b c d 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編II』(161頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
  13. ^ a b c 「新レールで出発進行 JR富山港線 立体交差化に伴い移設 東田地方」、『北日本新聞』夕刊(3面)、1987年(昭和62年)5月26日、北日本新聞社
  14. ^ a b c 志村隆編、『JR全線・全駅舎 西日本編(JR東海・JR西日本・JR四国・JR九州』(103頁)、2004年(平成16年)4月、学習研究社
  15. ^ 富山市史編纂委員会編、『富山市史 編年史〈上巻〉』(477頁)、2015年(平成27年)3月、富山市
  16. ^ a b 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(56頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  17. ^ a b c d 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(35頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  18. ^ 『官報』(670頁)、1927年(昭和2年)12月24日、内閣印刷局
  19. ^ 『官報』(406頁)、1928年(昭和3年)7月17日、内閣印刷局
  20. ^ a b 昭和18年鉄道省告示第119号(『官報』、1943年(昭和18年)5月25日、大蔵省印刷局)
  21. ^ 昭和34年日本国有鉄道公示第439号(『官報』、1959年(昭和34年)11月27日、大蔵省印刷局)
  22. ^ 「通報 ●北陸本線東滑川駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1972年10月2日、5面。
  23. ^ a b 相賀徹夫、『国鉄全線各駅停車7 北陸・山陰510駅』(172頁)、1984年(昭和59年)1月、小学館
  24. ^ 統計年鑑 - 富山県

参考文献[編集]

  • 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN 4-916181-21-2、32-34頁、61-62頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]