宇尾光治

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宇尾 光治( うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992年10月16日)は日本物理学者。専門分野は核融合プラズマ物理学京都大学名誉教授。1991年紫綬褒章受章。

経歴

北海道札幌市生まれ。1952年京都大学工学部電気工学科卒。京都大学助手、同講師、1960年学位論文「同軸積層ケーブルの伝送特性 」で、工学博士京都大学)、アメリカプリンストン大学研究員、西ドイツマックスプランク研究所研究員、イギリスカラム研究所研究員を経て、1966年京都大学教授。

1950年代よりヘリカル型核融合装置の研究に従事し、1958年に独自のヘリオトロン方式を提唱した。以降も実験を重ねながら装置の改良を進め、1976年からは同大学ヘリオトロン核融合研究センター長も併任。ヘリカル・ヘリオトロン型は、当時の主流であったトカマク型に比べ、プラズマの安定性に優れているため、1989年に設立された核融合科学研究所の研究装置に採用された。

1988年退官、名誉教授。1991年紫綬褒章受章。

妻は生物学者で、ゴキブリの研究で知られる宇尾淳子

脚注


外部リンク