后稷
后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。
生涯
『史記』周本紀によれば、帝嚳の元妃(正妃)であった姜原が、野に出て巨人の足跡を踏んで妊娠し、1年して子を産んだ。姜原はその赤子を道に捨てたが牛馬が踏もうとせず、林に捨てようとしたがたまたま山林に人出が多かったため捨てられず、氷の上に捨てたが飛鳥が赤子を暖めたので、不思議に思って子を育てる事にした。弃と名づけられた。弃は棄と同じ意味の字である。『山海経』大荒西経によると、帝俊(帝嚳の異名とみなす説が有力)の子とされる。
弃は成長すると、農耕を好み、麻や菽を植えて喜んだ。帝の舜に仕え、農師をつとめた。また后稷の官をつとめ、邰に封ぜられて、后稷と号した。
死後、子の不窋が後を嗣いだ。