名古山霊苑

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名古山霊苑
仏舎利塔
名古山霊苑の位置(兵庫県内)
名古山霊苑
兵庫県内の位置
詳細
所在地
日本の旗 日本
座標 北緯34度50分33秒 東経134度40分30秒 / 北緯34.842444度 東経134.675083度 / 34.842444; 134.675083座標: 北緯34度50分33秒 東経134度40分30秒 / 北緯34.842444度 東経134.675083度 / 34.842444; 134.675083
ウェブサイト http://nagoyamareien.com/
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名古山霊苑(なごやまれいえん)は、兵庫県姫路市にある市営の墓地である。当時のインド首相ネルーにより創建された。姫路城から北西に約1kmに位置する名古山の山上一帯に葬儀会場、斎場(名古山斎場)、寺院、各種慰霊碑などを併設する一大墓地で、第二次世界大戦戦没者の慰霊施設や人間国宝の桂米朝の墓所などもある。1953年(昭和28年)4月に開苑した[1]

旧日本陸軍将兵の墓
無縁仏の墓石群

仏舎利塔

1960年昭和35年)に完成した高さ37メートルの仏舎利塔[2]1954年(昭和29年)4月12日インドネール首相より贈与された仏舎利が収めてあり内部は絢爛たる仏教美術が施された名所である。天蓋鳳凰が描かれていて、その下に雲中観音釈迦三尊と十大弟子の立像が並んでいる。仏像の痛みが激しかったため名古山霊苑協会が創立50周年に合わせ、2014年平成26年)春から仏像の修復が始まり2015年(平成27年)に再公開された[3]

アクセス

鉄道・バス

入場料

史跡

  • 名古山弥生式住居跡 - 山の東斜面の発掘調査により、弥生時代中期の集落跡と3棟以上の竪穴式住居跡が発見された。1973年(昭和48年)4月6日に市の史跡に指定された。

脚注

外部リンク