半井明親
半井 明親(なからい あきちか、生年不詳 - 1547年4月26日(天文16年4月7日))は、室町時代後期(戦国時代)の医師である。幼名は忠七郎、後に後柏原天皇の命により貞長と改名。号は蘭軒等。通称は初代驢庵。
経歴・人物
半井利長の子として生まれる。宮内の大輔に任じられ、永正の頃に明へ渡航する。当時皇帝であった正徳帝の疾患を治療した。この恩恵により、銅硯1面と驢馬2頭を褒美として賜った。
また熊宗立と親交を持ったことにより、銅像等も賜り、帰国後は報恩として驢馬1頭を後柏原天皇に献上した。後に宮内で明の官服を着衣し、驢馬に乗馬する事が許可されたことにより、上記の通称をもらい、以後明親の子孫も代々名乗った。晩年には当時の室町幕府の将軍であった足利義政の補佐役も務め、扇子を同将軍の家紋とした。死後、京都の大徳寺境内に墓が建てられた。