東京都立北多摩高等学校
東京都立北多摩高等学校 | |
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北緯35度42分9.4秒 東経139度25分40.2秒 / 北緯35.702611度 東経139.427833度座標: 北緯35度42分9.4秒 東経139度25分40.2秒 / 北緯35.702611度 東経139.427833度 | |
過去の名称 |
立川市立新制高等学校 立川市立高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京 |
設立年月日 | 1948年 |
閉校年月日 | 2013年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13141F |
所在地 | 〒190-0012 |
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東京都立北多摩高等学校(とうきょうとりつ きたたまこうとうがっこう)は、東京都立川市曙町三丁目にかつて存在した東京都立高等学校。
概要
[編集]通称は「北多摩」(きたたま)。町田高校・武蔵野北高校・三鷹高校と共に、多摩地域の2番手進学校としての地位にあった。
立川市立の商業高校としての創立が始まりである。のちに都立に移管し北多摩高等学校となった。その後、商業科は廃止され、普通科の全日制のみとなった。生徒は青梅線・東大和・武蔵村山方面の生徒が多かった。
2008年度、同敷地に立川国際中等教育学校が開校したため、北多摩高等学校の生徒募集は2010年度以降は行われず、2013年3月末をもって閉校した。北多摩高等学校卒業生の証明書発行等の事務は、立川国際中等教育学校が引き継いでいる。
沿革
[編集]- 1948年 - 定時制の立川青年学校設立。
- 1950年 - 立川市立高等学校に改称。
- 1956年 - 都立に移管。東京都立北多摩高等学校と改称。
- 1967年 - 学校群制度導入。昭和高校と73群を組む。
- 1982年 - 学区改編、グループ合同選抜制度導入により、第八学区・81グループに所属。
- 1992年 - 国立市側に新校舎完成。
- 1994年 - グループ制解除、単独選抜となる。
- 2000年 - 全日制が全学区受験可になり国立市からも受験可能になる。
- 2004年 - 定時制課程募集停止。
- 2008年 - 定時制閉課程。
- 2013年 - 閉校。
教育目標
[編集]- 創造性にとみ、個性豊かな人を育てる
- 生涯にわたり、自ら学び心身をきたえる人を育てる
- 広い視野に立ち、国際社会の一員としての自覚と責任をもつ人を育てる
中高一貫校
[編集]都立高校の改革の一環として、中高一貫校の設置が進められた。既存の高校の敷地・設備を利用し、中学校・高等学校の6年制の学校に改める、というものである。多摩地区では本校の他に武蔵(2008年度に附属中学校開校)、南多摩(2010年度開校、母体は南多摩高等学校)、三鷹(2010年度開校、母体は三鷹高等学校)の4校が対象となっている。(附属中学校を併設するのではなく)中等教育学校となる場合、敷地内に中等教育学校を「新規に開校」し、6年後に母体校が閉校となるため、本校OBや関係者の一部では、母体校の伝統がどれだけ引き継がれるのかに関心が持たれている。立川国際中等教育学校では、本校と同じ校歌を引き継ぐ他、校章デザインも本校のデザインを基調としたもの(高等学校を示す「高」の部分を立川国際を示す「飾り文字のTK」に置き換えたもの)となっており、本校の伝統を引き継ごうとする方向性が打ち出されている。
部活動
[編集]部活動は、陸上、女子ラクロス部などが有名。
吹奏楽部は都大会金賞。
交通
[編集]著名な出身者
[編集]- 橋本弘山(羽村市長)
- 吉田都(バレリーナ)
- 本村凌二(歴史学者)
- 和栗由紀夫(舞踏家)
- 石母田史朗(俳優、声優)
- 高橋宏樹(作曲家)
- 小林和生(ベーシスト・元RCサクセション)
- 谷津矢車(小説家)
- 加藤マニ(映像監督)
- 堤博明(ギタリスト)
- 荒木友輔(プロフェッショナルレフェリー)
- 杉本麻衣佳 (ファッションモデル)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北多摩高校陸上部ホームページ
- 東京都立北多摩高等学校 - ウェイバックマシン(2007年5月3日アーカイブ分)