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北元喜雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北元 喜雄(きたもと のぶお、1924年1月1日 - 2010年10月31日[1])は実業家。太陽グループ代表(本部は石川県金沢市)。石川県小松市出身。勲四等瑞宝章

略歴

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大阪経済大学卒業。1951年から1971年まで4期にわたり金沢市議会議員を務める。元参議院議員の林屋亀次郎秘書も16年間務める。

1970年に太陽開発の常務に就任し、翌年には同社代表取締役社長に就任。1975年北陸大学の運営母体である学校法人松雲学園の副理事長に就任。1985年から1994年は学校法人北陸大学理事長、1996年から2004年まではエフエム石川代表取締役社長、金沢名鉄丸越百貨店取締役、石川県留学生協会会長、石川県青年団協議会会長なども務め、不動産開発をはじめ教育医療福祉など様々な事業を手がけた。

また、1990年の金沢市長選挙に立候補するが、当時金沢市の助役から立候補した山出保に大差で破れ、その後は政治活動から引退し経済活動に傾注した。

2010年10月31日、金沢市の病院で死去。86歳没[1]

脚注

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  1. ^ a b 北元喜雄氏死去 元北陸大理事長 - 47NEWS(よんななニュース) - archive.today(2013年4月30日アーカイブ分)