助賁尼師今
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(助賁王から転送)
助賁尼師今 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 조분 이사금 |
漢字: | 助賁尼師今 |
発音: | チョブン・イサグム |
日本語読み: | じょふん・にしきん |
ローマ字: | Jobun Isageum |
助賁尼師今(じょふん にしきん、生年不詳 - 247年)は、新羅の第11代の王(在位:230年 - 247年)であり、姓は昔。父は第9代の伐休尼師今の太子の骨正葛文王、母は金仇道葛文王(後の味鄒尼師今の父)の娘の玉帽夫人。王妃は先代の奈解尼師今の娘の阿尓兮夫人。『三国史記』新羅本紀・助賁尼師今紀の分注には諸賁とも記される。先代の奈解尼師今が230年3月に死去したときに、その遺言に従って王位についた。
治世
[編集]奈解尼師今の太子でもあった伊飡の昔于老を取り立てて、国防に当たらせた。助賁尼師自身も232年4月に倭人が首都金城に攻め入った時には出陣して倭人を壊滅させ、騎馬隊を派遣して首級1千をあげている。倭人との抗争はこの後も233年5月、7月と続き、昔于老が倭人の兵船を焼き払って撃退した。245年10月には高句麗東川王の侵入を受け、このときも昔于老が出て防戦したが、勝てずに馬頭柵(京畿道抱川市)まで退却したという。
231年7月には甘文国(慶尚北道金泉市)を討伐してその地を新羅領内に郡として組み入れ、236年2月には骨伐国(慶尚北道永川市)の国王が民を連れて投降してきたことを受けて、同じように郡として組み入れた。この際に、元の骨伐国王らには邸宅と田地を下賜して安全を保証した。
在位18年にして247年5月に死去した。埋葬地は伝わらない。
参考文献
[編集]- 『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980 ISBN 4-582-80372-5