骨品制

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骨品制(こっぴんせい)は、朝鮮半島の古代国家新羅で導入されていた身分制度である。

概要[編集]

骨品制は王都のみで導入されており、地方ではこの制度は導入されていなかった。あくまでも王都内部での氏族の序列をつけるための制度であるが、就任可能な官職や結婚の自由、利用可能な服職、乗り物、贅沢品、家屋までが骨品によって決められ、上位の骨品を持つ者だけが高級官僚になることが可能であった。また、新羅が百済高句麗を滅ぼしたときに、新羅に移住した百済・高句麗の王族や貴族は等級を下げられて骨品を与えられた。事実上、新羅の政治制度の骨格をなす制度であった。

王族に属する者を真骨(ジンゴル)と呼んだ(中でも父母共に王族に属する者を聖骨(ソンゴル)と呼んだ)。真骨は、骨品制の最上位に位置しており、官僚制度の中でも上位を独占し、官位制度の上位や諸官庁の長官はほとんど真骨によって占められていた。新羅時代に事実上の貴族と呼べるのは、この真骨のみである。

その下に六頭品、五頭品、四頭品、平民の順番で序列が決められていた。

新羅の官位制度[編集]

三国史記』新羅本紀によれば、建国の当初のころは「大輔」という官名が最高位のものとして確認されるが、第3代儒理尼師今の9年(32年)に、下表の17階級の官位(京位)が制定されたとする。枠外の官位としては、第23代法興王の18年(531年)に宰相に相当するものとして「上大等(上臣)」が設けられた。また、三国統一に功績のあった金庾信を遇するものとして、第29代武烈王(金春秋、キム・チュンチュ)の7年(660年:この年百済を滅ぼす)には伊伐(角干)の更に上に「大角干(大舒発翰)」、さらに武烈王の息子の第30代文武王(金法敏)の8年(668年:この年高句麗を滅ぼす)には「太大角干(太大舒発翰)」という位が設けられた。

新羅王が新たに即位すると、直ちに最高官位の上大等(古くは大輔、舒弗邯)が任命され、その王代を通じて権力の頂点にたつという例が多い。これは貴族連合政治体制の現れであると見られている。強力な王権が確立した三国統一の後にも上大等が任命されるという慣習は続いているが、真徳女王の代になって651年には国家機密を掌握する執事部が設けられ、その長官の中侍が上大等に代わって政治体制の要となった。

京位は首都金城に居住する六部のための身分体系でもあり、これに対して地方に移り住んだものに対しては外位という別途の身分体系を併せ持っていた。しかし百済・高句麗を滅ぼした後、両国の遺民を取り込みに対抗していくため、京位・外位の二本立ての身分制度を再編することに努めた。673年には百済から帰属してきた者のうち、百済の2等官の達率の場合には、金城に移住した者に対しては京位10等の大奈麻に当て、地方に留まった者には外位4等の貴干を当てた。翌674年には外位を廃止して、京位に一本化した。

高句麗官位と新羅官位[編集]

さらに唐との戦闘を終えて684年報徳国を滅ぼして半島内の混乱を収拾した後、686年には高句麗人に対しても官位(京位)を授けた。このときには高句麗の3等官の主簿[1]に対して京位7等の一吉を当てた。

あわせて高句麗#官制を参照。

このようにして、百済・高句麗両国の官位体系の序列を格下げした形で新羅の身分体系に組み入れることによって、それまで三国独自に展開されていた身分体系が新羅の政治秩序のもとに一本化され、統一国家としての内実を整えることに成功したと考えられている。

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骨品 外位 等級 京位 読み(日本語/韓国語) 別名と備考(※)
真骨 1 伊伐飡[2] いばつさん/イボルチャン 伊罰干(イボルガン)、于伐飡(ウボルチャン)、角干(カッカン)、角餐(カッチャン)、舒発翰(ソバラン)、舒弗邯(ソブラン)
2 伊尺飡 いしゃくさん/イチョッチャン 伊飡(イチャン)
3 迊飡 そうさん/チャプチャン 迊判(チャッパン)、蘇判(ソパン)
4 波珍飡 はちんさん/パジンチャン 海干(ヘガン)、破弥干(パミガン)
5 大阿飡 だいあさん/テアチャン 大阿飡以上の官位は真骨だけが任じられ、他の宗族は任命されない。
六頭品 6 阿飡 あさん/アチャン 阿尺干(アチョッカン)、阿餐(アチャン) ※重阿飡(チュンアチャン)から四重阿飡(サジュンアチャン)までの4階層が設けられた。
嶽干 7 一吉飡 いつきつさん/イルギルチャン 乙吉干(ウルギルガン)
述干 8 沙飡 ささん/サチャン 薩飡(チャルチャン)、沙咄干(サトゥルガン)
高干 9 級伐飡 きゅうばつさん/クッポルチャン 級飡(クプチャン)、及伏干(クッポッカン)
五頭品 貴干 10 大奈麻 だいなま/テナマ 大奈末(テナマル) ※重奈麻(チュンナマ)から九重奈麻(クジュンナマ)までの9階層が設けられた。
選干 11 奈麻 なま/ナマ 奈末 ※重奈麻(チュンナマ)から七重奈麻(チルチュンナマ)までの7階層が設けられた。
四頭品 上干 12 大舎 だいしゃ/テサ 韓舎(ハンサ)
13 舎知 しゃち/サジ 小舎(ソサ)
一伐 14 吉士 きつし/キルサ 稽知(ケジ)、吉次(キルチャ)
一尺 15 大烏 だいう/テオ 大烏知(テオジ)
彼日(ピイル) 16 小烏 しょうう/ソオ 小烏知(ソオジ)
阿尺 17 造位 ぞうい/チョウィ 先沮知(ソンジョジ)

ハングル表記についてはko:신라의 관직を参照。

脚注[編集]

  1. ^ 主簿は厳密には高句麗の3等官という序列ではないが、主簿に続けて高句麗官位と新羅官位の対比を記した『三国史記』職官志下の記述から、3等官に相当すると見られている(→武田編著2000 pp.94-95)。
  2. ^ 「飡」の文字について、書籍では「飡(にすいに食)」とするものが多いが、朝鮮の金石文では「(さんずいに食)」とするものが多い。(→井上訳注1980、p.35)『三国史記』の底本については、奎章閣韓國學研究院の影印本が「飡(にすい)」とし、慶州重刊本(1512年)を1931年に影印とした古典刊行会本(学習院東洋文化研究所の学東叢書本)が「(さんずい)」としている。

関連項目[編集]