抱川市

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京畿道 抱川市
位置
抱川市の地図
各種表記
ハングル: 포천시
漢字: 抱川市
片仮名転写: ポチョン=シ
ローマ字転写 (RR): Pocheon-si
統計(2009年
面積: 826.5 km²
総人口: 159,490 人
世帯数: 65,229 世帯
行政
国: 韓国の旗 大韓民国
上位自治体: 京畿道
下位行政区画: 1邑11面2洞
行政区域分類コード: 31270
抱川市の木: マツ
抱川市の花: 九節草
抱川市の鳥: オシドリ
自治体公式サイト: 抱川市

抱川市(ポチョンし)は大韓民国京畿道の北部にある市である。

目次

[編集] 歴史

高句麗時代には馬忽郡があった。新羅時代には堅城郡となり、統一新羅に入り青城郡と呼ばれた。

高麗時代、当初は抱州が置かれ、後に抱川郡となった。当時は楊広道に属した。

李氏朝鮮の太宗の代、1413年に抱川県となり、19世紀末に抱川郡となった。

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、永平郡抱川郡に編入。抱川郡に以下の面が成立。(12面)
    • 郡内面・加山面・内村面・蘇屹面・西面・新北面・青山面・永中面・蒼水面・永北面・一東面・二東面
  • 1937年 - 西面が抱川面に改称。(12面)
  • 1945年8月15日 - 米軍管理下に置かれる。ただし、永北面および青山面・蒼水面・永中面・二東面の各一部はソ連軍管理下に置かれる。(11面)
  • 1945年11月4日 - 米軍政の下で行政区画を調整。(8面)
    • 青山面が蒼水面に編入。
    • 永中面が新北面に編入。
    • 二東面が一東面に編入。
  • 1946年12月 - ソ連軍管理下の永中面・永北面・二東面が江原道鉄原郡に、青山面・蒼水面が江原道漣川郡に編入。ソ連軍管理下の抱川郡は消滅。
  • 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により青山面・永中面・永北面・二東面を「収復」。(12面)
  • 1979年5月1日 - 抱川面が抱川邑に昇格。(1邑11面)
  • 1983年2月15日 (1邑12面)
    • 漣川郡官仁面を編入。
    • 青山面の一部が新北面に編入。
    • 青山面が漣川郡に編入。
    • 内村面の一部が分立し、花峴面が発足。
  • 1996年2月 - 蘇屹面が蘇屹邑に昇格。(2邑11面)
  • 2003年10月19日 - 抱川郡が抱川市に昇格。(1邑11面)
    • 抱川邑が2つの行政洞に分割。

[編集] 名所

[編集] 出身人物

  • 金裕宅(バスケットボール選手)

[編集] 外部リンク

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