抱川市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 位置 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 포천시 |
| 漢字: | 抱川市 |
| 片仮名転写: | ポチョン=シ |
| ローマ字転写 (RR): | Pocheon-si |
| 統計(2009年) | |
| 面積: | 826.5 km² |
| 総人口: | 159,490 人 |
| 世帯数: | 65,229 世帯 |
| 行政 | |
| 国: | |
| 上位自治体: | 京畿道 |
| 下位行政区画: | 1邑11面2洞 |
| 行政区域分類コード: | 31270 |
| 抱川市の木: | マツ |
| 抱川市の花: | 九節草 |
| 抱川市の鳥: | オシドリ |
| 自治体公式サイト: | 抱川市 |
目次 |
[編集] 歴史
高句麗時代には馬忽郡があった。新羅時代には堅城郡となり、統一新羅に入り青城郡と呼ばれた。
高麗時代、当初は抱州が置かれ、後に抱川郡となった。当時は楊広道に属した。
李氏朝鮮の太宗の代、1413年に抱川県となり、19世紀末に抱川郡となった。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、永平郡が抱川郡に編入。抱川郡に以下の面が成立。(12面)
- 郡内面・加山面・内村面・蘇屹面・西面・新北面・青山面・永中面・蒼水面・永北面・一東面・二東面
- 1937年 - 西面が抱川面に改称。(12面)
- 1945年8月15日 - 米軍管理下に置かれる。ただし、永北面および青山面・蒼水面・永中面・二東面の各一部はソ連軍管理下に置かれる。(11面)
- 1945年11月4日 - 米軍政の下で行政区画を調整。(8面)
- 青山面が蒼水面に編入。
- 永中面が新北面に編入。
- 二東面が一東面に編入。
- 1946年12月 - ソ連軍管理下の永中面・永北面・二東面が江原道鉄原郡に、青山面・蒼水面が江原道漣川郡に編入。ソ連軍管理下の抱川郡は消滅。
- 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により青山面・永中面・永北面・二東面を「収復」。(12面)
- 1979年5月1日 - 抱川面が抱川邑に昇格。(1邑11面)
- 1983年2月15日 (1邑12面)
- 漣川郡官仁面を編入。
- 青山面の一部が新北面に編入。
- 青山面が漣川郡に編入。
- 内村面の一部が分立し、花峴面が発足。
- 1996年2月 - 蘇屹面が蘇屹邑に昇格。(2邑11面)
- 2003年10月19日 - 抱川郡が抱川市に昇格。(1邑11面)
- 抱川邑が2つの行政洞に分割。
[編集] 名所
[編集] 出身人物
- 金裕宅(バスケットボール選手)
[編集] 外部リンク
|
||||||||