光蓮寺 (長野市)

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光蓮寺
所在地 長野県長野市長野県長野市西尾張部517番地 
位置 北緯36度38分56.85秒 東経138度13分53.55秒 / 北緯36.6491250度 東経138.2315417度 / 36.6491250; 138.2315417座標: 北緯36度38分56.85秒 東経138度13分53.55秒 / 北緯36.6491250度 東経138.2315417度 / 36.6491250; 138.2315417
山号 柳原山
宗旨 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛喜3年(1231年)
法人番号 2100005000421 ウィキデータを編集
光蓮寺 (長野市)の位置(長野県内)
光蓮寺 (長野市)
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光蓮寺(こうれんじ)は長野県長野市にある真宗大谷派の寺院。寺号は柳原山。

概要

開基は信濃源氏井上氏の井上頼光で、建久4年(1193年)比叡山で出家し、親鸞の弟子となり、了禅と名乗り、寛喜3年(1231年)信濃国水内郡に勝善寺(久保勝善寺)を創建した。鎌倉時代には久保勝善寺と西厳寺(長野市)、普願寺中俣勝善寺(須坂市)、願生寺(新潟県妙高市)、本誓寺(同上越市)からなる「磯部6か寺」を形成した。

8世了慶は永享11年(1439年)本願寺に参詣し、蓮如自筆奥書の聖教を授かり、現在も光蓮寺に残されている。その後、蓮如は宝徳元年(1449年)と応仁2年(1468年)に勝善寺を訪れている。

11世了順は石山合戦で戦死、勝善寺も焼失して衰微したが、教如は蓮如の一字を与え、現在地に光蓮寺の寺号を与えて再建させた。寛保2年(1742年)に現在の堂宇を再建した。

本堂には本尊の阿弥陀如来を安置し、太子堂には運慶作と伝わる聖徳太子像を安置する。寺宝は上述の奥書の他、「住吉物語」の絵巻など数多い。寺紋は寛政11年(1799年)、19世了恵が浅草別院輪番となったとき、水戸徳川家から葵御紋を拝領した。

参考文献