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佐藤研一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤研一郎(2007年撮影)

佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - 2020年1月15日)は日本の実業家技術者ローム株式会社創業者。ローム ミュージック ファンデーション[1]理事長。

経歴

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東京都出身。父親は新交響楽団(現・NHK交響楽団)のバイオリニスト、母親も琴を趣味としていたことから、6歳からピアノを習い、プロのピアニストを目指していた[2]立命館高等学校立命館大学理工学部卒業。

1954年(昭和29年)、立命館大学在学中に開発した超小型抵抗器特許を元に、京都西陣に東洋電具製作所を創業。1958年(昭和33年)に株式会社に組織変更。1981年(昭和56年)、社名をローム株式会社に変更。一代でロームを世界的な電子部品メーカーに育て上げる。

母校への愛校心が強く、立命館大学ローム記念館の開設など多額の出資を行った。2005年(平成17年)、立命館小学校こども顧問委員に就任。

2010年(平成22年)3月31日をもって、1958年以来52年間にわたり勤めてきたローム取締役社長の座を退き、名誉会長となった[3]

2013年、立命館大学より博士(経営学)を授与される。

2016年(平成28年)6月29日に開催された第58期定時株主総会において、取締役に復帰した[4][5]

2020年(令和2年)1月15日京都市内で死去(88歳)[6]

人物

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  • 父親が交響楽団でコンサートマスター(バイオリン)をしていたため、子供の頃は音楽家志望だった。大学1年生のときにピアノコンクールに出場し、準優勝に終わったことで音楽家の道を諦めた。1991年(平成3年)、若手音楽家を支援する目的でローム ミュージック ファンデーションを設立した。小澤征爾音楽塾の立ち上げにも全面的な援助を行った。
  • マスコミ嫌いでインタビューも滅多に応じず、決算発表や入社式にも顔を見せなかった[7]。ただし音楽関係のインタビューにはしばしば応じていた。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 公益財団法人 ローム ミュージック ファンデーション”. micro.rohm.com. 2023年9月20日閲覧。
  2. ^ ビジネス哲学研究会 編「佐藤研一郎の章」『イノベーションを起こす! 思考の壁をやぶる起業家の言葉』PHP研究所、2011年11月25日。ISBN 978-4569802053 
  3. ^ 代表取締役および取締役の異動に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)ローム株式会社、2010年3月19日http://www.rohm.co.jp/news/pdf/100319_news.pdf2010年7月4日閲覧 
  4. ^ 第58期定時株主総会決議ご通知』(PDF)(プレスリリース)ローム株式会社、2016年6月29日https://www.rohm.co.jp/documents/11401/224879/soukai_ketsugi_58-j.pdf2022年2月24日閲覧 
  5. ^ “ローム創業者の佐藤氏、取締役に復帰「粉骨砕身頑張る」”. 日本経済新聞 電子版. (2016年6月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXLZO04242720Z20C16A6LDA000/ 2022年2月24日閲覧。 
  6. ^ “ローム創業者の佐藤研一郎氏が死去 88歳、大手半導体メーカー育てる”. 京都新聞. (2020年1月24日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/140030 2020年1月24日閲覧。 
  7. ^ “マスコミ嫌いで公の席に姿見せず 謎に満ちたローム社長が「交代」”. J-CASTニュース. (2010年3月30日). https://www.j-cast.com/2010/03/30063407.html?p=all 2022年2月24日閲覧。 
先代
(設立)
ローム社長
初代:1958年 - 2010年
次代
澤村諭