コンテンツにスキップ

井上政吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。花蝶風月雪月花警部 (会話 | 投稿記録) による 2012年3月8日 (木) 14:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎経歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

井上 政吉
生誕 1886年1月18日
京都府
死没 (1975-04-07) 1975年4月7日(89歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905 - 1942
1945
最終階級 陸軍中将
指揮 陸軍戸山学校
第23師団
歩兵第36旅団長
近衛歩兵第3連隊長
戦闘 日中戦争
第二次世界大戦
テンプレートを表示

井上 政吉(いのうえ まさきち、1886年(明治19年)1月18日 - 1975年(昭和50年)4月7日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

京都府出身。1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官。

1933年(昭和8年)8月、歩兵大佐に昇進し津連隊区司令官に就任した。1935年(昭和10年)3月、歩兵第6連隊長に移り、1936年(昭和11年)3月、近衛歩兵第3連隊長となった。

日中戦争の開始と共に、1937年(昭和12年)3月、第5師団司令部付となったが、同年4月、仙台陸軍幼年学校長に就任。同年8月、陸軍少将に進級。1938年(昭和13年)12月、歩兵第36旅団長となり中国に出征した。1939年(昭和14年)10月、陸軍中将に進み関東軍付となり満州に移った。ノモンハン事件後の1939年11月6日に、小松原道太郎中将の後任として第23師団長に親補され、師団の再建に尽力した。1941年(昭和16年)3月、参謀本部付となり、翌月に待命、予備役編入となった。

1945年(昭和20年)4月に召集され、最後の陸軍戸山学校長として終戦まで在任した。 1975年に死去し、墓所は東京都府中市多磨霊園に所在。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。