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中井正一

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中井 正一(なかい まさかず、1900年2月14日 - 1952年5月18日)は、日本美学者評論家社会運動家広島県出身。

人物

京都学派の流れを汲みつつ、中井美学と呼ばれる独自の美学理論を展開した。その理論は極めて広範多様な対象への実践的な視点で知られる。1936年に発表した代表的論文『委員会の論理』をはじめとして、その著作は戦前戦後を通じて、いわゆる進歩的文化人を中心に広く影響をあたえた。京都帝国大学文学部、相愛女子専門学校(現、相愛女子短期大学相愛大学)講師。1948年羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任し、その基盤確立に尽力した。

近年、中井のメディア論が再び注目されており、再評価の動きが高まっている。長男は情報科学者図書館学者中井浩

略歴

業績

中井は大学院進学後、恩師深田康算の依頼によって『哲学研究』の編集にかかわり、この頃よりカントからマルクスの研究へと関心を深めていった。

深田の没後、『深田康算全集』の編集に参加。この時のメンバーを中心として1930年に『美・批評』を創刊。同誌は美術史研究を中心としながら、現象学記号論新カント派フランクフルト学派などの思潮、新即物主義などの芸術実践を含めた幅広い視野を持っていた。中井自身も貴志康一らと実験的な色彩映画の製作を行うなど、著述にとどまらない活動を展開した。

1933年、滝川事件に際して京大院生グループの中心人物として活動。以後、社会情勢のファシズム化に抗して左翼文化活動への関与を深める。1935年、滝川事件後、一時停滞していた『美・批評』は久野収新村猛真下信一武谷三男らを迎えて『世界文化』と改題、再創刊され国際的な反ファシズム文化運動の紹介などを端緒に左翼文化誌としての性格を先鋭化させていく。

1937年、能勢克男斎藤雷太郎らと週刊紙『土曜日』を創刊。同誌は左翼運動の大衆啓蒙を目的としており、記述平明なタブロイド紙として多くの読者を獲得した。同年11月、治安維持法違反の容疑で新村、真下らと共に検挙。以後、終戦まで活動の場を実質的に失う。

1945年、郷里にほど近い疎開先、尾道市の市立図書館長に就任。民衆文化の地方からの再生を掲げて社会教育活動を推進した。

1948年、参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任。日本図書館協会理事長にも選出され、図書館を通じた文化復興に尽力した。羽仁の腹案では中井を館長として招聘する予定であったが、中井の左翼活動の経歴が問題視され、保守層からの強い反対が起こった。そのため、参議院議長松平恒雄らがまとめた金森徳次郎を館長に据え中井を副館長とする案で妥協したという[1]。就任後もこの問題が後をひき、幾多の妨害に悩まされた。また設立早々の国会図書館には課題が山積し、それにあたる激務から体調を崩し病状を悪化させた。

1951年に『美学入門』、1952年に『日本の美』を刊行するなど活動意欲は最後まで衰えなかったが、1952年5月18日、胃癌により逝去した。

著書

単著

  • 近代美の研究(三一書房、1947年)
  • 美学入門(河出書房、1951年)
  • 日本の美(宝文館、1952年)
  • 美学的空間-機能と実存と組織の美学(弘文堂、1959年)
  • 美と集団の論理(中央公論社、久野収編、1962年)
  • 中井正一全集、全4巻(美術出版社、1964年-1981年、久野収・中井浩編)
  • 生きている空間-主体的映画芸術論 (てんびん社、1971年)
  • 論理とその実践 組織論から図書館像へ(てんびん社、1972年)
  • アフォリズム(てんびん社、1973年)
  • 中井正一評論集(岩波文庫、1995年)
  • 中井正一エッセンス(こぶし書房、2003年)

共編著

  • 回想の三木清(三一書房、1948年、共著)
  • 回想の戸坂潤(三一書房、1949年、共著)
  • 学校図書館運営の実際と読書指導(西荻書店、1950年、共著)
  • 芸術論集(河出書房新社、1961年、共著、桑原武夫編)
  • 現代日本思想大系第14巻(筑摩書房、1964年、共著、矢内原伊作編)
  • 戦後日本思想大系第1巻(筑摩書房、1968年、共著、日高六郎編)
  • 戦後日本思想大系第12巻(筑摩書房、1969年、共著、羽仁進編)
  • 現代日本映画論大系第1巻(冬樹社、1971年、共著)

脚注

  1. ^ 中井の就任に難色が示された記録としては昭和23年3月25日の衆議院図書館運営委員会において『國立國会図書館の副館長は、館長を補佐する必要上、人格の高邁なること、偏傾ならざる思想の所有者たることを要し、同時に図書館業務につき多年の経驗と知識を持つ有資格者を任命せられんことを決議する。』と中井の思想について問題視する決議までなされているものがある。

外部リンク