中壢区
別称: 青山番、澗仔壢 | |
区内を流れる新街渓 | |
地理 | |
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座標: | 北緯24度57分23.65秒 東経121度13分26.56秒 / 北緯24.9565694度 東経121.2240444度 |
面積: | 76.5200 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 中壢區 |
日本語読み: | ちゅうれき |
拼音: | Zhōnglì |
通用拼音: | Jhōnglì |
注音符号: | ㄓㄨㄥ ㄌㄧˋ |
片仮名転写: | ジョンリー |
台湾語: | Tiong-le̍k |
客家語: | Chûng-la̍k |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 桃園市 |
下位行政区画: | 85里1,902鄰 |
中壢区長: | 林香美 |
公式サイト: | 中壢区公所 |
情報 | |
総人口: | 382,074 人(2015年1月) |
世帯数: | 138,729 戸(2015年1月) |
郵便番号: | 320 |
市外局番: | 03 |
中壢区(ちゅうれきく)は、台湾桃園市第二の区で市南部に位置する工業都市。英語表記は区公所ではピンイン表記によらない "Jung-Li City" を採用している。
1970年代の台湾民主化運動の過程で起きた中壢事件の舞台となった都市である。
地理
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歴史
中壢は古くは未開拓の荒野が広がる土地であり、青山番と称され、タイヤル族及び少数のケタガラン族、平埔族が居住していた。後に大陸より渡海した移入者により中壢の平坦な台地が開墾され、これにより元来居住していたタイヤル族は南部の内陸山岳部へと移住を余儀なくされ、平埔族は次第に漢化され、漢人移民と共に協力して開墾に従事していた。
移民は福建、広東出身者が最も多く、康熙末年の陳増耀、雍正年間の客家人である黄風、饒平人の呉雨吉、頼永馨等の名が知られている。乾隆年間になると客人移民の入植は更に活発になり、鎮平人の黄梅生三兄弟、鄭建儀二兄弟、永定人胡凱清及び恵来人傅仙桂等が上げられる。1765年頃には福建漳州から郭樽が入植し最大規模の開発を行なっている。郭樽は当初大園に入植し、その後族人を率いて南崁、桃園地方へと南下、原住民を駆逐すると同時に交通を整備し、今日の中壢発展の礎を築いた。これらの開拓民は一帯の村落を澗仔壢庄と称した。村内に老街渓、新街渓が流れ谷を形成していたことから「壢」と称されるようになった。後に当時台湾北部であった竹塹(現在の新竹市)と淡水(元来は新荘を指し、後に台北を意味した)の中間に位置したため、「中」字を採用し中壢と称されるようになった。
日本による統治が開始されると中壢は台北県の管轄となり、中壢弁務署が設置され、1909年に桃園庁と改められた。戦後は中壢鎮とされたが、1967年2月27日に県轄市への昇格が省府委員会第914次会議で通過し、同年7月1日より市制が施行され、中壢市となった。2014年12月25日、市轄区へ昇格し、中壢区となり今日に至っている。
行政区
歴代首長
区分 | 代 | 氏名 | 着任日 | 退任日 |
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中壢鎮 | 初代 | 林添奎 | 1956年7月6日 | 1960年1月5日 |
中壢鎮 | 第2代 | 邱垂周 | 1960年1月5日 | 1960年2月25日 |
中壢鎮 | 代理 | 謝枝 | 1960年2月25日 | 1960年5月25日 |
中壢鎮 | 第3代 | 劉家興 | 1960年5月25日 | 1961年9月20日 |
中壢鎮 | 代理 | 謝枝 | 1961年9月29日 | 1964年2月29日 |
中壢市 | 初代 | 邱垂周 | 1964年3月1日 | 1968年3月1日 |
中壢市 | 第2代 | 劉家興 | 1968年3月1日 | 1973年3月31日 |
中壢市 | 第3代 | 林煥夫 | 1973年4月1日 | 1974年11月14日 |
中壢市 | 代理 | 欧憲瑜 | 1974年11月14日 | 1977年2月29日 |
中壢市 | 第4代 | 呂河清 | 1977年12月30日 | 1982年2月28日 |
中壢市 | 第5代 | 呂河清 | 1982年3月1日 | 1986年2月28日 |
中壢市 | 第6代 | 林煥夫 | 1986年3月1日 | 1990年2月28日 |
中壢市 | 第7代 | 張勝勛 | 1990年3月1日 | 1994年2月28日 |
中壢市 | 第8代 | 方力脩 | 1994年3月1日 | 1998年2月28日 |
中壢市 | 第9代 | 張昌財 | 1998年3月1日 | 2002年2月28日 |
中壢市 | 第10代 | 葉歩樑 | 2002年3月1日 | 2006年2月28日 |
中壢市 | 第11代 | 葉歩樑 | 2006年3月1日 | 2010年2月28日 |
中壢市 | 第12代 | 魯明哲 | 2010年3月1日 | 2014年12月24日 |
中壢区 | 初代 | 林香美 | 2014年12月25日 | 現職 |
交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 | 中壢駅 内壢駅 |
鉄道 | 台湾高速鉄道 | 桃園駅 |
鉄道 | 桃園捷運 | 藍線 |
国道 | 国道1号 中山高速道路 | 中壢IC 内壢IC |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台31線 | |
県道 | 110号甲 | |
県道 | 112号 | |
県道 | 113号/113号丙 | |
県道 | 114号 |
捷運(建設中)
- 桃園機場捷運藍線
教育
大学
高級中学
高級職校
国民中学
- 桃園市立東興国民中学
- 桃園市立自強国民中学
- 桃園市立龍岡国民中学
- 桃園市立龍興国民中学
- 桃園市立興南国民中学
- 桃園市立内壢国民中学
- 桃園市立大崙国民中学
- 桃園市立新明国民中学
国民小学
- 桃園市立中壢国民小学
- 桃園市立新街国民小学
- 桃園市立新明国民小学
- 桃園市立青埔国民小学
- 桃園市立芭里国民小学
- 桃園市立大崙国民小学
- 桃園市立内壢国民小学
- 桃園市立内定国民小学
- 桃園市立山東国民小学
- 桃園市立普仁国民小学
- 桃園市立中平国民小学
- 桃園市立龍岡国民小学
- 桃園市立自立国民小学
- 桃園市立中正国民小学
- 桃園市立富台国民小学
- 桃園市立信義国民小学
- 桃園市立興国国民小学
- 桃園市立華勛国民小学
- 桃園市立林森国民小学
- 桃園市立忠福国民小学
- 桃園市立興仁国民小学
- 桃園市立中原国民小学
- 桃園市立元生国民小学
軍事学校
宗教学校
観光
- 中壢新街仁海宮
- 燃藜第紅樓
- 新街聖蹟亭
- 新街國小日式宿舍
- 中平路縣府日式宿舍
- 中壢警察局日式宿舍群
- 馬祖新村