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下田豊松

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下田 豊松(しもだ とよまつ、1887年 - 1972年10月10日)は、北海道岩内郡生まれの日本のボーイスカウト運動の黎明期に活躍した初代チーフスカウト。

父は金沢藩からの開拓団「起業社」に参加していた下田仁三郎。

函館商業高等学校を卒業後、在郷軍人会の役員を勤める。

1914年、岩内で行なわれた陸軍第七師団の秋期演習で、陸軍中将の宇都宮太郎から少年団の設立を要請される。

1916年、北海道岩内少年団を創設。

1920年7月30日から8月7日、ボーイスカウトの第1回世界ジャンボリー(ロンドン)に私費で参加(他の日本からの参加者は小柴博鈴木慎(鈴木リチャード)の2名)。ロバート・ベーデン=パウエルとも会見。

1921年、全国統一組織「日本健児団」を創設。国際事務局を自宅に置き、日本の初代チーフスカウトとして活動。

1928年ニセコ山系を踏破中に美しいを発見。あまりの美しさに感動し、「神、仙人の住みたまうところ」として神仙沼と命名。

1964年、日本連盟より「先達」の称号を受ける。

関連書籍

  • 『下田豊松物語 - 無名の初代チーフスカウト』(小町國市、クニ・スカウティング・ライブラリー)

関連項目