ヴィクトル・ピカイゼン

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ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・ピカイゼン
生誕 (1933-02-15) 1933年2月15日
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 (現 ウクライナ キエフ)
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・ピカイゼンロシア語: Виктор Александрович Пикайзен, ラテン文字転写例:Viktor Aleksandrovich Pikaĭzen, 1933年2月15日 - )は、ソビエト連邦出身のヴァイオリン奏者。[1]

経歴

キエフ生まれ。5歳でヴァイオリンをはじめ、1941年から1944年までキエフ音楽院でヴァイオリンを学んだ。その後、グネーシン音楽学校ダヴィッド・オイストラフのクラスに入り、モスクワ音楽院でもオイストラフの薫陶を受けた。1949年のヤン・クーベリック・コンクール、1955年のエリザベート王妃国際音楽コンクール、1957年のロン=ティボー国際コンクール、1958年のチャイコフスキー国際コンクールのそれぞれに2位入賞を果たし、1965年のパガニーニ国際コンクールで優勝した。

1966年から1986年まで母校のモスクワ音楽院で教鞭をとり、1993年からトルコアンカラ音楽院の教授を務めた。2006年にはモスクワ音楽院に戻り、再び母校で後進の指導を続けている。

  1. ^ [1]