パラッツォ・バルベリーニ
パラッツォ・バルベリーニ (イタリア語: Palazzo Barberini) はイタリア共和国ローマに現存するバロック建築のパラッツォである。現在は国立古典絵画館として利用されている。日本語ではバルベリーニ宮あるいはバルベリーニ宮殿などとも表記される。国立古典絵画館は、イタリアのルネサンスおよびバロック絵画の数々の傑作で知られている。
歴史
[編集]もともとこの場所はスフォルツァ家の敷地であったが、バルベリーニ家が買い取ったもので[1]、1633年までにおおむね完成したこの建築は、ウルバヌス8世(フィレンツェのバルベリーニ家出身[2])の命で建設された[3]。当初建設の任にあったカルロ・マデルノが1629年に死去[4]すると、その後はジャン・ロレンツォ・ベルニーニと、マデルノの親類であったフランチェスコ・ボッロミーニが引き継いだ[3]。建設を依頼したのはウルバヌス8世の甥のタッデオ・バルベリーニであったとする資料もあり、これによれば依頼したのは1627年であった[1]。
当初マデルノはパラッツォ・ファルネーゼのように中庭のあるタイプの平面構成をとっていたが、引き継いだベルニーニはH型平面に仕様変更し現存する形の構成とした[3]。このベルニーニの仕様変更に対するボッロミーニの関わりは明らかになっていない[5]。『地球の歩き方』によれば当初のマデルノ案の時点でH型平面であったとされており、ベルニーニが仕様変更したわけではないとしている[6]。
1634年にボッロミーニはパラッツォ・バルベリーニの近くにあったサン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂改修の仕事にかかるため手を引き[5]、装飾と残りの建設作業はベルニーニが1638年に完了した[3]。結果として「イタリア・バロックの3大建築家が協力した珍らしい作品」[5]という評価を与えられることとなった。
ながらくバルベリーニ家の所有であったが、1949年に至って政府の所有となった。この移管は寄付であるとする説明[7]と売買によるとする説明[6]がある。1953年の映画『ローマの休日』において、登場人物のアン王女が滞在および脱走する某国大使館の門はパラッツォ・バルベリーニの門が使用された[8]。現在は絵画館(後述『国立古典絵画館』)として使用されている[7][9][10]。
立地
[編集]ローマ地下鉄A線バルベリーニ駅のあるバルベリーニ広場周辺[9]、方角で言えば南東に位置する。トリトーネの噴水などで知られる広場で、窓からすぐ下方に見える位置である[11]。パラッツォ・バルベリーニの南西にはクイリナーレ宮殿がある[12]。
高低差のある立地で、背面に設けられた庭園は建物の2階部分と一致する高さにあたる[3]。この庭園側からの建物入り口には、騎乗のまま利用が可能な大階段を下って至るようになっている[3]。
建築
[編集]正面を西としてH型の平面を見せる3階建ての建築物である。H型といっても左右対称ではなく、南側は若干短くなっている[13]。
H型のへこんだ前庭の奥には三角形の玄関がある[3]。玄関入って正面からは楕円形の広間を囲む形で二手にわかれた大階段が上階へ続いている[3]。玄関の右手(南側)には螺旋階段が、逆の左手(北側)には直上階段がこれも上階へ続いている[3]。この玄関と大階段はベルニーニの作であることがわかっている[5]。
2階には大広間と主室があり[3]、大広間にはフレスコ画が描かれている[10]。このピエトロ・ダ・コルトーナによる天井画『神の摂理の勝利』(Trionfo della Divina Provvidenza)[14]については 「ピエトロ・ダ・コルトーナ#バルベリーニ宮殿天井画」 を参照。同じく2階にある、クーポラをもつコルトーナの礼拝堂 (Cappella di Pietro da Cortona) もコルトーナによるフレスコ画で装飾されている[15]。
3階はかつての居室部分で、バロック期以降の作品を主に展示している[15]。2013年に開放された[6]。
国立古典絵画館
[編集]歴史節で述べたように現在は絵画館として使用されており、ラファエロの『ラ・フォルナリーナ』(La fornarina) をはじめ、12、3世紀 - 18世紀[16]の絵画を中心とした美術品などが展示されている[9][10]。コレクションは1893年にコルシーニ家からの寄贈で始まっていた国立古典絵画館を基にしている[6]。1949年にこのパラッツォに移転するとともに、コルシーニ宮、コロンナ宮のコレクションにバルベリーニ家、キージ家所有であった絵画などを追加し開館した[6]。なお、写真撮影は不可である[17]。
収蔵作品の例
[編集]以下に『地球の歩き方』(2014年)にて紹介されている展示物を挙げる[18]。製作年代は脚注の資料より。
- 2階
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- ピエロ・ディ・コジモ『読書するマグダラのマリア』(La Maddalena che legge) 1501年ごろ[21]
- ラファエロ『ラ・フォルナリーナ』(La fornarina) 1518年 - 1519年[22]
- ジュリオ・ロマーノ『聖母子』(Madonna col Bambino) 1522年 - 1523年[23]
- ロレンツォ・ロット『聖カタリナの神秘の結婚と聖人たち』(Matrimonio mistico di Santa Caterina d'Alessandria) 1524年[24]
- ティツィアーノ『ヴィーナスとアドニス』(Venere tenta di trattenere Adone dell'andare a caccia)
- ティントレット『聖ヒエロニムス』(San Girolamo penitente)
- ハンス・ホルバイン『ヘンリー8世の肖像』(Ritratto di Enrico VIII) 1540年[25]
- ブロンズィーノ『ステファノ4世・コロンナの肖像』(Ritratto di Stefano IV Colonna) 1540年[26]
- エル・グレコ『牧者の礼拝』(L'adorazione dei pastori) と『キリストの洗礼』(Il Battesimo di Cristo) 1596年ごろ[27]
- アンニーバレ・カラッチ『若者の肖像』(Ritratto di giovane)
- ルドヴィーコ・カラッチ『老婆の肖像』(Ritratto di donna)
- グエルチーノ『我アルカディアにあり』(I pastori in Arcadia (Et in Arcadia Ego) ) 1618年 - 1622年[28]
- カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』(Giuditta e Oloferne) 1598年 - 1599年[29]
- カラヴァッジョ『ナルシス』(Il Narciso) 1597年 - 1599年[30][31]
- カラヴァッジョ『祈る聖フランチェスコ』(San Francesco in meditazione) 1606年[29]
- グイド・レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』(Ritratto di Beatrice Cenci) 1600年ごろ[32]。主題がベアトリーチェ・チェンチであることの信憑性については疑問視されており[32]、またその根拠もないという[33]。
- グエルチーノ『聖ルカ』(San Luca)
- 3階
ギャラリー
[編集]-
フィリッポ・リッピ『二人のひざまずく寄進者のいる受胎告知』(1440-1445年頃)
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アントニアッツォ・ロマーノ『聖パウロと聖フランチェスコのいる玉座の聖母子』(1487年)
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ピエロ・ディ・コジモ『読書するマグダラのマリア』(1501年頃)
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ロレンツォ・ロット『聖カタリナの神秘の結婚と聖人たち』(1524年)
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アーニョロ・ブロンズィーノ『ステファノ4世・コロンナの肖像』(1540年)
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カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』(1598-1599年頃)
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グイド・レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』(1600年頃)
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カラヴァッジョ『祈る聖フランチェスコ』(1602-1604年頃)
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グエルチーノ『我アルカディアにあり』(1618-1622年頃)
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “Piazza Barberini”. Rome Art Lover. BAROQUE ROME IN THE ETCHINGS OF GIUSEPPE VASI. 2019年5月1日閲覧。
- ^ “ウルバヌス8世”. コトバンク. 2014年5月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 日本建築学会 1964, p. 131
- ^ 日本建築学会 1964, p. 59
- ^ a b c d 日本建築学会 1964, p. 132
- ^ a b c d e 地球の歩き方編集室 2014, p. 96
- ^ a b 『ローマの休日』(DVD)パラマウント ジャパン株式会社、2011年、該当時間: 特典映像.3。EAN 4988113761451、ASIN B004MKN25O。
- ^ ただし、大使館内部の舞台はブランカッチョ宮殿が使用された(前掲『ローマの休日』、添付資料.ローマの名所めぐり)。
- ^ a b c 昭文社 2012, p. 43
- ^ a b c JTBパブリッシング 2005, p. 49
- ^ 河島英昭『ローマ散策』 新赤版 698、岩波書店〈岩波新書〉、2000年、144頁 。
- ^ 昭文社 2012, 別冊2、p.9。
- ^ 右図および(日本建築学会 1964, p. 59-7)を参照。
- ^ 地球の歩き方編集室 2014, p. 99
- ^ a b 地球の歩き方編集室 2014, p. 97
- ^ (昭文社 2012, p. 43)によれば13 - 18世紀、(JTBパブリッシング 2005, p. 49)によれば12 - 18世紀。
- ^ 公式サイト-It is forbidden
- ^ 地球の歩き方編集室 2014, pp. 97–99
- ^ “Sala 3 - Tardo Gotico e primo Rinascimento” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Lippi - Annunciazione e due donatori” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Piero di Cosimo - Santa Maria Maddalena” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “ラファエッロ(らふぁえっろ)とは”. コトバンク(朝日新聞社、VOYAGE GROUP). 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Giulio Romano - Madonna col Bambino” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Lotto - Sposalizio mistico di Santa Caterina e santi” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Holbein - Ritratto di Enrico VIII” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Bronzino - Ritratto di Stefano IV Colonna” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “El Greco - Adorazione dei pastori e Battesimo di Cristo” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Sala 19 - Paesaggio e figura” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ a b “Sala 20 - Caravaggio” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ Fried, M. (2010), The Moment of Caravaggio, Bollingen series, Princeton University Press, pp. 275-276, ISBN 9780691147017
- ^ “Caravaggio - Narciso” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ a b “Reni - Ritratto di Beatrice Cenci” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ 上田恒夫「ジョヴァンニ・モレッリ『イタリア絵画論 : ローマのボルゲーゼ美術館とドーリア=パンフィーリ美術館』翻訳(1) : 「序文」と「基本理念と方法」」『金沢美術工芸大学紀要』、金沢美術工芸大学、78頁、2002年。ISSN 09146164 。
- ^ “Bernini - Ritratto di Urbano VIII” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “Bernini - Ritratto di Urbano VIII” (イタリア語). 国立古典絵画館. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “国立絵画館(バルベリーニ宮) (Galleria Nazionale Di Arte Antica)”. JTB. 2016年4月3日閲覧。
参考文献
[編集]- JTBパブリッシング『01 イタリア』JTBパブリッシング〈ポケットガイド ヨーロッパ〉、2005年。ISBN 9784533051623。
- 昭文社「イタリア2013」『マップルマガジン』第2691号、昭文社、2012年。ISBN 978-4398269591。
- 地球の歩き方編集室『地球の歩き方 A10 ローマ』(20版)ダイヤモンド社、2014年、296頁。ISBN 9784478045879。
- 日本建築学会『西洋建築史図集』(7版)彰国社、1964年、40-109頁。
ほか(脚注節参照)。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、パラッツォ・バルベリーニに関するカテゴリがあります。
- Gallerie Nazionali Barberini Corsini 公式ウェブサイト