ラクチョウのお時

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ラクチョウのお時 (らくちょうのおとき、1928年 - 没年不詳)は、戦後日本の東京・有楽町にいた街娼パンパン)の通称。マスメディアへの露出と、その後の更生によって広く知られるに至った人物。名の表記は「ラクチョウのおトキ」[1]、「ラク町お時」とも。本名は西田時子とされる[2]が、「本名その他素性ははっきりしない」とする資料もある[3]

経歴

1928年、生まれる[4]

1945年、東京の女子商業学校在学中、空襲で両親・兄弟と[5]離別。戦後、空襲による破壊のため廃墟になっていたラクチョウ(有楽町の通称)の日劇地下で寝泊まりし、界隈のパンパンを仕切っていた女親分・通称「夜嵐あけみ」の妹分となり[3]、自身も有楽町駅付近のガード下に立つパンパンとなる[4]

1947年4月22日、NHKのラジオ番組『街頭録音』で、アナウンサーの藤倉修一によるお時のインタビュー「ガード下の娘たち」が放送された。この頃のお時は、パンパンをまとめる遣り手に転じていた[1]。一説に、お時が率いるパンパンの数は500人に達したという[6]。放送において、お時の容姿は、「背が高く、水兵風の濃紺のズボンと薄紫のセーターを着て、髪は黄色のバンドで束ね、顔は美しく端正で、肌は透き通るように白く、唇は真っ赤に塗っている[7]」と描写された。

お時はインタビューで次のように述べ、大きな反響を呼んだ。

そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もない私たちはどうして生きていけばいいの、好きでこんな商売をしている人なんて何人もいないの、それなのに苦労して堅気になって職を見つけたって、世間の人はあいつはパン助だって指さすじゃないの。私は今までに何人も、ここの娘を堅気にして送り出してやったわよ。それがみんな(涙声)いじめられ追い立てられて、またこのガード下に戻ってくるじゃないの。世間なんていいかげん、私たちを馬鹿にしてるわ — ラクチョウのお時、[7]


またお時は、放送の中でパンパンの間で流行していた歌謡曲「星の流れに」の一節を口ずさんだ[注 1]。このことは同曲のヒットのきっかけのひとつになったとされる[8]。同番組は大掛かりな隠し録りで録音が行われたため、インタビューを受けていたお時は自分の声が放送されると知らず、マーケットのおでん屋で[9]ラジオから流れる自分の声を聞いて驚いたと伝えられている[10]。あまりにも荒んだ様子の声と話しぶりを客観的に聞いた事でショックを受け、更生を決意する。ショックを受けたのは本人だけでなく、当時のラジオ聴取者に大変な衝撃を与え、ラクチョウのお時といえば夜の女の代名詞のようになっていく[9]

この放送は後に発表される『肉体の門』の背景にもなっている[11]

この放送の後遣り手をやめ、姿を消す。

1947年7月、千葉県市川市で下駄の鼻緒を製造する桜はな緒会社の事務員となる[5]1948年1月14日、『街頭録音』の後身番組『社会探訪』の放送において、同社で冷たい視線に耐えながら働く姿が紹介される。

その後も断続的に放送や新聞上で消息が伝えられるが、『20世紀日本人名事典』は「焼鳥屋、結婚、離婚、クラブのママ、と変転が伝えられたが、消息不明に」と結んでおり、後半生は明らかになっていない[3]。なお、NHKのプロジェクト「戦争証言アーカイブス」により、お時が40歳のとき(1968年)新宿で彼女に会ったというクラブのママ・森田芳枝の証言が残っている。森田によると、当時高田馬場で労働者を集める手配師をしていたという。ニューハーフ(当時は現在以上に迫害されていた)たちの面倒もよく見ていた[12]

その他

パンパンたちは、たとえば「ラクチョウのお時」のような渾名の様な名前で互いを呼びあっていた。彼女たちはグループを作って助け合い、また、社会への憎悪を募らせていた。その分仲間内の結束は強かった。結束をさらに強固なものとするため、独特の業界用語(隠語)を使用した。特殊なネーミングセンスもこのことに関係している[2]

脚注

注釈

  1. ^ 発売日は1947年10月であり、発売前の4月に流行していたことは事実と異なる。

出典

  1. ^ a b 松谷 2003, p. 246.
  2. ^ a b 松沢呉一『風俗見聞録』ポット出版、2003年、10頁。ISBN 978-4-939015-59-5 
  3. ^ a b c 『20世紀日本人名辞典 そ~わ』日外アソシエート、2004年7月26日、2767頁。ISBN 4-8169-1853-1 
  4. ^ a b 『講談社日本人名大辞典』上田正昭, 西澤潤一, 平田郁夫, 三浦朱門(監修)、講談社、2001年12月25日、2053頁。ISBN 4-06-210800-3 
  5. ^ a b 永井良和, 松田さおり 編『占領期生活世相誌資料Ⅱ 風俗と流行』山本武利(監修)、新曜社、2015年6月30日、120頁。ISBN 978-4-7885-1437-9 
  6. ^ 500人の娼婦を率いていた19歳の女性とは?……風俗の歴史に迫った”. 文春オンライン. 株式会社文藝春秋 (2018年10月28日). 2020年12月1日閲覧。
  7. ^ a b 岡野幸江, 渡辺澄子, 長谷川啓 編『買売春と日本文学』東京堂出版、2002年3月1日、247頁。ISBN 4490204574 
  8. ^ 長田暁二『歌でつづる20世紀―あの歌が流れていた頃』ヤマハミュージックメディア、2003年2月19日、133頁。ISBN 4636207491 
  9. ^ a b 渡部亮次郎 (2010年3月17日). ““ラク町のおとき”と色街の昭和史”. 杜父魚ブログ. 2020年12月3日閲覧。
  10. ^ 松谷 2003, p. 294-296.
  11. ^ 植村尚(著者)『戦後秘話 在外父兄救出学生同盟』(電子書籍)eブックランド、2007年7月16日。ISBN 4902887541 
  12. ^ ラク町のお時 知られざる晩年と素顔”. 戦争証言アーカイブス. 日本放送協会. 2020年12月1日閲覧。

参考文献

  • 「ラク町のおとき 街録から更生物語」『朝日新聞』、1948年2月9日。
  • 松谷みよ子『現代民話考[8] ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2003年11月1日。ISBN 4480038183 

関連項目