モット・ザ・フープル
モット・ザ・フープル | |
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出身地 | イングランド、ヘリフォードシャー |
ジャンル | ロック、グラム・ロック、ハード・ロック |
活動期間 | 1968–1974 |
レーベル | アイランド、CBS、コロムビア |
旧メンバー |
イアン・ハンター (1969-1974) ミック・ラルフス (1969-1973) ヴァーデン・アレン (1969-1972) ピーター・ワッツ(1969–1978) デイル・グリフィン(1969–1978) ルーサー・グロヴナー (1973-1974) モーガン・フィッシャー (1973 サポート、1974-1978 正式メンバー) ミック・ロンソン (1974) |
モット・ザ・フープル (Mott the Hoople) はイギリスのロックバンド。
略歴
1968年に結成されたサイレンスというバンドを前身とする。アイランド・レコードのプロデューサーのガイ・スティーヴンスがヴォーカルのスタン・ティピンズに不満を感じ、オーディションを経てイアン・ハンターがヴォーカルとして加入。スタン・ティピンズはロードマネージャーとしての役割を与えられ、時折レコーディングやライヴにも参加した。その後バンド名をウィラード・メイナスの小説から取りモット・ザ・フープルと改め、アイランド・レコードと正式に契約し1969年にデビューした。
デビュー当初からライヴが好評だったにも関わらず商業的に振るわず、1972年3月26日スイスのチューリッヒでのライヴの後、ついに解散を決定する。しかし早くからこのバンドを気に入っていたデヴィッド・ボウイがその話をオヴァレンド・ワッツから聞きつけメンバーを説得し、楽曲の提供とプロデュースを申し出て彼らのために「すべての若き野郎ども (All the Young Dudes)」を書き下ろす(当初ボウイから提供された曲は「サフラゲット・シティ」(ジギー・スターダスト収録)だったが、モット・ザ・フープル側はこれを拒否し、未完成だった「ドライヴ・イン・サタディ」(アラジン・セイン収録)を要求したとされる)。CBS移籍後に発表されたこの曲は彼らにとって最大のヒットとなり、またグラムロックを代表する曲のひとつとなった。1973年1月、自作曲を発表する機会が少ないことを理由にヴァーデン・アレンが脱退し、バンドは暫くの間4人編成での活動を余儀なくされる。シングル「メンフィスからの道 (All The Way From Memphis)」がヒットするが『革命』の発表直前にミック・ラルフス(ギター)が脱退し、ポール・ロジャースらと共にバッド・カンパニーを結成。脱退の理由についてミック・ラルフスは、「いつも思っていたんだ。俺が書いた曲はポールみたいな人に歌ってもらいたがってるなって。俺たち二人にとっては完璧な組み合わせだったよ。で、速攻で行動に移したんだ」と語っている。[1]アレンとラルフスの後任としてモーガン・フィッシャー、ミック・ボルトン(UFO (バンド)のギタリストと同名だがまったくの別人)、ルーサー・グロヴナーが加入。
ルーサー・グロヴナーはまだアイランドとの契約が残っていたため、アリエル・ベンダー(Ariel Bender)という名前で活動することになる。
1974年には「ロックンロール黄金時代」がヒットしたが、同年7月にミック・ボルトンが脱退、後任としてブルー・ウィーバーが加入する。
同年9月、ルーサー・グロヴナーが脱退。後任としてミック・ロンソンを迎え入れ、マスコミはこれを歓迎したがロンソンがメンバーの技術に不満を感じハンター、ロンソンとワッツ、グリフィン、フィッシャーの3人との間に溝が出来ることになる。そして同年12月にアメリカン・ツアーのプロモーションの為にミック・ロンソンと共に渡米していたイアン・ハンターが心労により体調を崩し入院し、そのままミック・ロンソンと共に脱退。12月16日にモット・ザ・フープルの解散が正式に告げられた。ミック・ロンソン在籍時に録音された曲はシングル「モット・ザ・フープル物語」と「ラウンジ・リザード」のデモ録音のみだった。
その後残ったメンバーはレイ・メジャーを加えるがヴォーカリスト探しは難航し、最終的にミック・ラルフスの紹介でナイジェル・ベンジャミンが加わりバンド名をモットと改名するがセールスは大きく落ち込み、さらに1977年にはヴォーカルのナイジェル・ベンジャミンが脱退し、ジョン・フィドラーに替わりブリティッシュ・ライオンズと改名し、アメリカに進出するがレコード会社の支持を得られず2ndアルバムは未発表のまま翌年に解散した。2009年、モット・ザ・フープル結成40周年を記念してオリジナルメンバーでの再結成ライヴが9月25日、26日にモンマスでウォーミングアップギグを行い、10月1日、2日、3日、5日、6日の5日間限定で、ロンドンのハマースミス・アポロにて行なわれる事が発表された。しかしデイル・グリフィンは体調が悪化したため一部の曲のみ参加し、プリテンダーズのマーティン・チェンバースが代役を務めた。
メンバーと主な担当楽器
- MOTT THE HOOPLE
- イアン・ハンター (Ian Hunter 1939年6月3日 - ) ヴォーカル、ピアノ、リズムギター
- ミック・ラルフス (Mick Ralphs 1948年5月31日 - ) ヴォーカル、ギター
- デイル・グリフィン(Dale Buffin Griffin 1950年10月24日 - ) ドラムス
- オヴァレンド・ワッツ (Peter Overend Watts 1949年3月13日 - ) ベース
- ヴァーデン・アレン (Verden Allen 1944年5月26日 - ) オルガン
- モーガン・フィッシャー (Morgan Fisher 1950年1月1日 - ) ピアノ
- ミック・ボルトン (Michael Bolton 1948年12月20日 - ) オルガン
- ルーサー・グロヴナー (Luther Grosvenor 1949年12月23日 - ) ギター
- ブルー・ウィーヴァー (Derek Blue Weaver 1947年3月11日 - ) オルガン
- ミック・ロンソン (Mick Ronson 1946年5月26日 - 1993年4月29日) ギター
- MOTT
- ナイジェル・ベンジャミン (Nigel Benjamin) ヴォーカル
- レイ・メジャー (Ray Majors) ギター
- デイル・グリフィン (Dale Buffin Griffin 1950年10月24日 - ) ドラムス
- オヴァレンド・ワッツ (Peter Overend Watts 1949年3月13日 - ) ベース
- モーガン・フィッシャー (Morgan Fisher 1950年1月1日 - ) ピアノ
- BRITISH LIONS
- ジョン・フィドラー (John Fiddler 1947年9月25日 - ) ヴォーカル、ギター
- レイ・メジャー (Ray Majors) ギター
- デイル・グリフィン (Dale Buffin Griffin 1950年10月24日 - ) ドラムス
- オヴァレンド・ワッツ (Peter Overend Watts 1949年3月13日 - ) ベース
- モーガン・フィッシャー (Morgan Fisher 1950年1月1日 - ) ピアノ
エピソード
- 当初から過激な暴力的なライヴ・パフォーマンスが有名で、客との喧嘩や機材の破壊などは日常茶飯事であった。イアン・ハンターによれば「ロイヤル・アルバート・ホールをめちゃくちゃにして、イギリスの色々なホールから締め出しを食らった」しかし、モーガン・フィッシャーによると自分が参加してからはそのような事は74年のハマースミスでの暴動以外には無く、ハンターがルーサーの首を絞める等のパフォーマンスもあくまで芝居としてやっていて暴力的なバンドではなかったと語っている。[2]
- 1974年の全米ツアーの前座として同行したのは、あのクイーン。ブライアン・メイの急病により途中で降板しているが、メンバー間の交流は現在まで続いている。また、クイーンの「ナウ・アイム・ヒア」にはモット・ザ・フープルが歌詞に登場している。
- 末期モット・ザ・フープルから、ブリティッシュ・ライオンズ時代まで在籍していたモーガン・フィッシャー(キーボード)は、現在日本在住。2007年公開の映画『神童』では俳優として活躍。
ディスコグラフィー
MOTT THE HOOPLE
オリジナルアルバム
- モット・ザ・フープル - Mott The Hoople(1969年) 英66位 米185位
- マッド・シャドウズ - Mad Shadows(1970年) 英48位
- ワイルドライフ - Wildlife(1971年) 英44位 米207位
- ブレイン・ケイパーズ - Brain Capers(1971年) 米208位
- すべての若き野郎ども - All The Young Dudes(1972年) 英21位 米89位
- 革命 - Mott(1973年) 英7位 米35位
- ロックンロール黄金時代 - The Hoople(1974年) 英11位 米28位
ライヴアルバム
- 華麗なる煽動者〜モット・ライブ - Live(1974年) 英32位 米23位
- オリジナル・ミックスド・アップ・キッズ - Original Mixed Up Kids - The BBC Recordings(1996年)
- ロックンロール・サーカス-ライヴ・ウルバーハンプトン・シヴィック・ホール 1972.4.6 - Rock'n'Roll Circus Live 1972(2000年)
- オール・ザ・ウェイ・フロム・ストックホルム・トゥ・フィラデルフィア-ライヴ 71/72 - A Tale of Two Cities(2000年)
- トゥー・マイルズ・フロム・ライヴ・ヘヴン - Two Miles From Live Heaven(2001年)
- ライヴ・フィルモア・ウェスト、サンフランシスコ - Live Fillmore West(2006年)
- フェアフィールド・ホールズ,ライヴ 1970 - Fairfield Halls, Live 1970(2007年)
- Live at the Hammersmith Apollo 2009(2010年)
コンピレーションアルバム
- 黄金の軌跡(モット・ザ・フープル物語) - Greatest Hits(1976年)
- トゥー・マイルズ・フロム・ヘヴン(未発表音源集) - Two Miles From Heaven(1980年)
- ザ・ベスト・オブ・モット・ザ・フープル - Walkin' with a Mountain: The Best of Island Years, 1969-1972(1990)
- バラッド・オブ・モット - The Ballad of Mott: A Retrospective(1993)
- ファミリー・アンソロジー - Family Anthology(2005年)
- ロックンロール黄金時代:40周年記念 - Golden Age of Rock N Roll(2009年)
MOTT
オリジナルアルバム
ライヴアルバム
- Live:Over Here and Over There 75/76(1999年)
- By Tonight Live 1975/76(2009年)
コンピレーションアルバム
- Gooseberry Sessions and Rarities(2000年)
BRITISH LIONS
オリジナルアルバム
- ブリティッシュ・ライオンズ - British Lions (1977年) 米83位
- トラブル・ウィズ・ウーマン - Trouble with Women (1980年)(1978年録音)
ライヴアルバム
- Live & Rare(1999年)
- Live at the Old Waldorf: San Francisco 1978(2010年)
映像作品
- One More Chance To Run - Live Germany 1978(2007年)
脚注
関連項目
- バッド・カンパニー(ミック・ラルフス在籍)
- デヴィッド・ボウイ(すべての若き野郎どもの提供、プロデュース)
- ラブ・アフェアー(モーガン・フィッシャー在籍)
- モーガン (バンド)(モーガン・フィッシャー在籍)
- スプーキー・トゥース(ルーサー・グロヴナー在籍)
- ウィドウメイカー(ルーサー・グロヴナー在籍)
- メディシン・ヘッド(ジョン・フィドラー在籍)
- ヤードバーズ(レイ・メジャーが1994から1995年まで在籍。ボックス・オブ・フロッグスにジョン・フィドラー、レイ・メジャー参加)
- クイーン (バンド)(モット・ザ・フープルの前座としてツアーに同行。イアン・ハンター、ミック・ロンソンがフレディ・マーキュリー追悼コンサートに参加)