ミナ・キュナード

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Mina Cunard
ミナ・キュナード
本名 出生名不明
結婚後本名 ミナ・キュナード・シーモア Myna Cunard Seymour
生年月日 (1894-12-16) 1894年12月16日
没年月日 (1978-08-09) 1978年8月9日(83歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州コロンバス
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズ
職業 女優
ジャンル サイレント映画トーキー
配偶者 ハリー・シーモア
著名な家族 グレイス・キュナード
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ミナ・キュナードMina Cunard, 1894年12月16日 - 1978年8月9日)は、アメリカ合衆国女優である[1]。出生名は不明であるが、結婚後の本名はミナ・キュナード・シーモアMyna Cunard Seymour)となった[2]

人物・来歴[編集]

オハイオ州コロンバスに生まれる[1]。1歳上の姉はのちに女優・脚本家となったグレイス・キュナードである[1]

1915年、姉のグレイスが在籍し、すでにスターとなっていたユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社、姉がコンビを組むフランシス・フォードが監督・主演する短篇西部劇 And They Called Him Hero に出演したのが、もっとも古い映画への出演記録である[1]。同年、同コンビによるシリアル・フィルム名金』(別題『金貨のかけら』)に役を得て出演、姉グレイスの代役も務めた[1]。同作は日本では『マスター・キイ』に次ぐ連続活劇第2弾として公開され、作品は爆発的な人気を呼んだ[3]。以降、同社が量産する短篇映画に多く出演し、いくつかでは主演も務めた[1]

1916年、同年にユニヴァーサル傘下に設立されたブルーバード映画でも、チャールズ・スウィッカード監督の『双生児』に助演[1]、同作は日本でも公開された[4]。1919年にはユニヴァーサルを去り、時期は不明であるが俳優のハリー・シーモアと結婚している[1]

トーキーの時代となり、1943年、24年ぶりに映画界に復帰、レイ・エンライト監督の Good Luck, Mr. Yatesジーン・ネグレスコ監督の『復讐! 反ナチ地下組織 / 裏切り者を消せ』にノンクレジットで出演している[1]。同2作以降はふたたび出演記録はなく、さらに11年後の1955年、ヘンリー・キング監督の『野性の女』に出演した以降は、20世紀フォックス作品にクレジットなしで出演した[1]。1958年、ジーン・ネグレスコ監督の『愛の贈物』が最後の出演記録である[1]

1967年11月11日、夫シーモアと死別する[5]

1978年8月9日カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した[1]。満83歳没。同市内にあるマウント・サイナイ・メモリアル・パーク墓地で、夫シーモアと並んで眠る[2]。墓碑銘には「最愛なる妻、母、祖母」と刻まれた[2]

フィルモグラフィ[編集]

特筆以外はすべて出演作である[1]

1910年代[編集]

1940年代[編集]

1950年代[編集]

関連事項[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Mina Cunard, Internet Movie Database (英語), 2010年7月12日閲覧。
  2. ^ a b c Mina Cunard, Find A Grave (英語), 2010年7月12日閲覧。
  3. ^ 『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.254-255.
  4. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.
  5. ^ a b Harry Seymour - IMDb(英語), 2010年7月12日閲覧。
  6. ^ Constance Crawley - IMDb(英語), 2010年7月12日閲覧。

外部リンク[編集]