マルコム・シェパード (第2代シェパード男爵)

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第2代シェパード男爵マルコム・ニュートン・シェパード: Malcolm Newton Shepherd, 2nd Baron Shepherd1918年9月27日 - 2001年4月5日)は、イギリスの政治家、貴族、陸軍軍人

貴族院労働党の重鎮だった。

経歴

1918年9月27日に後に初代シェパード男爵に叙されるジョージ・シェパード英語版とその妻エイダ(旧姓ニュートン)の間の長男として生まれる[1][2]。父ジョージは1929年から1946年まで労働党でナショナル・エージェント(National Agent)を務めていたが、労働党系貴族院議員を増やそうとしていたアトリー政権下の1946年にシェパード男爵に叙されて貴族院議員に列し、1949年から1951年にかけて名誉帯剣紳士隊長(貴族院与党幹事長英語版)を務めた[2]

第二次世界大戦時には陸軍に召集され、北アフリカ戦線やシチリア島、イタリア本土での戦いに従軍した[1]

1954年12月に父が死去し、第2代シェパード男爵位を継承して貴族院議員に列した[3]

第1次ウィルソン内閣期の1964年から1967年にかけて名誉帯剣紳士隊長と貴族院与党幹事長を務めた[2]1965年には枢密顧問官に列する[2]1967年から1970年にかけては同内閣のコモンウェルス担当閣外大臣(Minister of State, Commonwealth Office)を務めた[2]。また1968年から1970年にかけては貴族院院内総務代理を務めた[2]

1974年から1976年にかけては第2次ウィルソン内閣で貴族院院内総務王璽尚書を務めた[2]

1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が制限されたが、彼は一代貴族に叙されて貴族院の議席を保った[2][3]

2001年4月5日に死去した。世襲貴族爵位のシェパード男爵位は一人息子のグレーム・シェパード英語版が継承した[1][2]

栄典

爵位

1954年12月4日の父の死により以下の爵位を継承した[2]

1999年11月16日に以下の爵位を新規に叙された[2][1]

  • リンカンシャー州におけるスポルディングのスポルディングのシェパード男爵 (Baron Shepherd of Spalding, of Spalding in the County of Lincolnshire)
    (連合王国一代貴族爵位)

家族

1941年にアリソン・レドモンド (-1998)と結婚し、彼女との間に一人息子で爵位を継承するグレーム・ジョージ・シェパード英語版 (1949-)を儲けた[2][1]

出典

  1. ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Malcolm Newton Shepherd, Baron Shepherd of Spalding” (英語). thepeerage.com. 2016年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Heraldic Media Limited. “Shepherd, Baron (UK, 1946)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月19日閲覧。
  3. ^ a b UK Parliament. “Mr Malcolm Shepherd” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年3月19日閲覧。

外部リンク

公職
先代
第2代セント・アルドウィン伯爵英語版
貴族院与党幹事長英語版
1964年–1967年
次代
ベズウィク男爵英語版
名誉帯剣紳士隊長
1964年–1967年
先代
第3代ウィンドルシャム男爵
貴族院院内総務
1974年–1976年
次代
フレッド男爵英語版
王璽尚書
1974年–1976年
党職
先代
シャクルトン男爵
労働党貴族院院内総務
1974年–1976年
次代
フレッド男爵英語版
イギリスの爵位
先代
ジョージ・シェパード英語版
第2代シェパード男爵
1954年–2001年
次代
グレーム・シェパード英語版