フリードリヒ・ヴューラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KasparBot (会話 | 投稿記録) による 2015年12月19日 (土) 00:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Normdaten moved to Wikidata)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

フリードリヒ・ヴューラー(Friedrich Wührer, 1900年6月29日 - 1975年12月27日)は、オーストリア出身のピアノ奏者

ウィーンの生まれ[1]。6歳からマリウス・スデルスキーの下でピアノを学び、1915年にウィーン音楽院に入学してフランツ・シュミットにピアノ、フェルディナント・レーヴェ指揮法ヨーゼフ・マルクス音楽理論を学んだ。1923年にはピアニストとして欧米の演奏旅行を敢行して名を高めた。

ピアニストとしてのヴューラーは、マックス・レーガーハンス・プフィッツナーの音楽を積極的に紹介する一方で、アルノルト・シェーンベルクパウル・ヒンデミットベーラ・バルトークセルゲイ・プロコフィエフイゴール・ストラヴィンスキーらの音楽にも理解を示し、自らの演奏レパートリーに組み入れた。

ピアノ教師としてのヴューラーは、1922年から1932年まで母校で教えた後、1934年から1936年までマンハイム音楽大学に転出した。1936年からキールで教鞭をとり、1939年から1945年まで母校に戻って教えている。第二次世界大戦後は1948年から1951年までザルツブルク・モーツァルテウム、1952年から1958年までマンハイム音楽大学のピアノ科教授を務め、その後は1968年までミュンヘンで教えた。

弟子にはジェフリー・パーソンズハンス・カンなどがいる。

  1. ^ encyclopedia.com