フェリス女学院短期大学
フェリス女学院短期大学 | |
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大学設置 | 1950年 |
創立 | 1870年 |
廃止 | 1990年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人フェリス女学院 |
本部所在地 | 神奈川県横浜市中区山手町68 |
学部 |
英文科[注 1] 家政科[注 2] 音楽科 器楽専攻 声楽専攻 |
フェリス女学院短期大学(ふぇりすじょがくいんたんきだいがく、英語: Ferris Women's Junior College)は、神奈川県横浜市中区山手町68に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1990年に廃止された。大学の略称はフェリス短大。学生募集は1988年度まで[注 3]。翌年度より事実上の後身校となるフェリス女学院大学音楽学部の設置による統合をもって短期大学は学生募集を停止し、1990年12月21日 正式廃止[1]。現在のフェリス女学院大学山手キャンパスが短大の校舎でもあった。
概要
大学全体
- 学校法人フェリス女学院により運営されていた日本の私立短期大学。設置年は、短期大学制度が発足した1950年である。当初は、家政科・英文科が設けられ、その翌年に音楽科が設けられた。
教育および研究
- 廃止寸前における専門教育は音楽となっていた。それ以前には、家政学や英文学に関する専門教育もおこなっていた。
学風および特色
- アメリカ人女性宣教師、メアリー・E・キダーの思想に基づいた教育が行われていたことから、キリスト教思想に則った教育が行われていた。
沿革
- 1870年 メアリー・E・キダー、外国人居留地39番のヘボン施療所で授業開始
- 1875年 山手178番に校舎落成、「フェリス・セミナリー」と名付ける
- 1889年 校名を「フェリス和英女学校」に変更
- 1941年 戦時下、校名を「横浜山手女学院」に変更
- 1947年 専門学校(旧制:英文科、家政科、音楽科)を設置
- 1950年 フェリス女学院短期大学開学。
- 英文科
- 家政科
- 1951年 音楽科を増設。
- 1976年 音楽科を専攻分離。
- 器楽専攻
- 声楽専攻
- 1981年 家政科の入試競争率が15.0倍を記録した[2]。ちなみに、音楽科は6.2倍[2]
- 1988年度をもって学生募集を終了[注 3]
基礎データ
所在地
- 神奈川県横浜市中区山手町68
象徴
- フェリス女学院短期大学のカレッジマークは盾をイメージしており、その中央に「F・S」
の英字頭文字が記されていた。
教育および研究
組織
学科
- 英文科[注 1]学生総数は1964年度で397[注 4][3][4]1965年度で195[注 4][3][5]
- 家政科[注 2]学生総数は1987年度で297[注 4][3][6]、1988年度で104となっている[注 4][3][7]。
- 音楽科:最終募集年度の1988年度における学生総数は104[注 4][3][7]。
- 器楽専攻
- 声楽専攻
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
研究
- 『フェリス女学院短期大学論叢』[9]
大学関係者と組織
大学関係者一覧
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歴代学長
出身者
- 駒井千佳子 - 芸能レポーター
- 平井道子 - 女優・声優(音楽科卒業)
- 田隅靖子 - ピアニスト(京都市立芸術大学)
- 白井貴子 - シンガーソングライター
- 黛まどか - 俳人
- ミネハハ - 歌手・声優(音楽科声楽専攻卒業)
対外関係
系列校
卒業後の進路について
就職について
- 音楽科卒業生は、音楽家をはじめ芸術活動で活躍している人もいる。
編入学・進学実績
- 系列のフェリス女学院大学以外では玉川大学などがある。
関連項目
関連サイト
出典
- ^ 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』272頁より。
- ^ a b 『かながわの大学』(神奈川新聞社発行、1981年)pp109より。
- ^ a b c d e 出典:『全国学校総覧』
- ^ 昭和40年度版58頁より。
- ^ 昭和41年度版32頁より。
- ^ 昭和63年度版58頁より。
- ^ a b 昭和64年度版60頁より。
- ^ a b c d 『教員養成課程認定大学短期大学一覧』(1955年)60頁より。
- ^ CiNii Articlesより。