フィリベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Jun324 (会話 | 投稿記録) による 2021年4月11日 (日) 07:52個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

フィリベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ
Filiberto di Savoia-Genova
サヴォイア=ジェノヴァ家家長
在位 1963年 - 1990年

称号 ピストイア公
出生 (1895-03-10) 1895年3月10日
イタリア王国の旗 イタリア王国トリノ
死去 (1990-09-07) 1990年9月7日(95歳没)
フランスの旗 フランスローザンヌ
配偶者 リーディア・フォン・アーレンベルク
家名 サヴォイア=ジェノヴァ家
父親 2代ジェノヴァ公トンマーゾ
母親 イザベラ・フォン・バイエルン
テンプレートを表示

フィリベルト・ロドヴィーコ・マッシミリアーノ・エマヌエーレ・マリーア・ディ・サヴォイア=ジェノヴァFiliberto Lodovico Massimiliano Emanuele Maria di Savoia Genova, 1895年3月10日 - 1990年9月7日)は、イタリア王国の王族、陸軍軍人。サヴォイア=ジェノヴァ家の第4代当主。

生涯

第2代ジェノヴァ公トンマーゾとその妻のバイエルン王女イザベラの間の次男としてトリノに生まれ、1904年9月22日にピストイア公duca di Pistoia)の儀礼称号を授けられた。1928年4月30日にトリノにおいて、ドイツ貴族のアーレンベルク公エンゲルベルト・マリアの娘リーディア(1905年 - 1977年)と結婚したが、子供を授かることはなかった。

イタリア陸軍に出仕して将軍となった。ベニート・ムッソリーニの支持者であり、1935年に起きた第2次エチオピア戦争には自発的に参加して、黒シャツ隊「3月23日」師団を指揮した。フィリベルトの師団はエチオピア北部のアンバ・アラダム山の山頂にイタリア国旗を掲げる戦功を立てた。第2次世界大戦が起きるとイタリア第7軍の総司令官に就任したが、終戦後の1946年に実施された国民投票に伴う王制廃止で、王族の身分を失った。

1963年に兄フェルディナンドが子供のないまま亡くなると、ジェノヴァ家の家督を引き継いだ。1990年にローザンヌにおいて95歳の高齢で死去。末弟のエウジェーニオが家督を相続した。