ノート:加藤一二三

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外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

加藤一二三」上の9個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月27日 (火) 17:16 (UTC)[返信]

「神武以来」の読み方について[編集]

「神武以来」の読み方・読まれ方を調べました。

この言葉の読みは江戸時代の時点で「じんむいらい」、「じんむこのかた」の両方が確認できるのですが(『日本国語大辞典』、『角川古語大辞典』を参照)、 昭和30年代の流行語としては「じんむいらい」と読まれるのが一般的でした(大久保忠利「1957年の流行語覚え書」『婦人公論』昭和32年12月号、125ページ)。

現在、Abemaビデオで1989年のNHK杯加藤九段羽生五段戦が無料公開されていますが、22分28秒頃、永井英明さんが、加藤さんがデビューしA級へと駆け上がった頃を振り返り、「じんむいらいのてんさい」と言われたとおっしゃっています。

2015年のこの版から現在までの記述だと、「じんむこのかた」だけが正しいような印象を読み手に与えてしまうため、修正したいと考えています。--El2l2会話2019年1月20日 (日) 01:59 (UTC)[返信]

コメント ウィキペディアでは「真実」ではなく「出典のあること」を書くことができます。また、記事「加藤一二三」に書くべきことは、El2l2さんの問題提起の範囲では、「加藤氏がどのように呼ばれていたか」です。

現時点で「神武以来」の出典として提示している「加藤一二三「インタビュー 芸術としての将棋 - "神武以来の天才"の軌跡」、『ユリイカ』(2017年7月号)、青土社 pp. 46-63」は、出典表記から分かるように加藤氏へのインタビュー記事ですが、その中で、加藤氏の発言として「神武以来」に言及した個所に「じんむこのかた」とルビが振られております。この出典を提示して、記事「加藤一二三」に、「加藤は『神武以来(じんむこのかた)の天才』と呼ばれる」という趣旨を記述することは、ウィキペディアの方針文書に照らして全く問題ないと考えます。その観点では、現時点の本記事の記述は、出典の提示・出典との対応の修正が必要なようです。

一方、El2l2さんが指摘しておられることは「国語学・社会学・歴史学の見地から、『神武以来』のヨミは何か」ということのように思えます。それは、記事「神武以来」を立項して頂き(そのような記事がWP:Nを満たすかは別問題です)、適切な出典を提示して記述すべき事柄と思料します。

記事「加藤一二三」に記述すべき事柄ではなく、このノートで議論すべき事柄でもありません。

なお、ネット上で妙なものを発見しましたが、これはEl2l2さんが書かれたものでしょうか?仮にそうだとすれば、これに書かれている要領でウィキペディアに記事「神武以来」を立項なさると、大部分がWP:NORに抵触してしまうと思われます。お気をつけください。--Pooh456会話) 2019年1月20日 (日) 16:18 (UTC)/(修正)--Pooh456会話2019年1月20日 (日) 16:38 (UTC)[返信]

コメント ありがとうございます。そのtogetterページは僕が作りました。最初、ここにも貼ろうかなと思っていたんですが、宣伝みたいになっちゃうんで悪いかなと思いなおしてやめちゃいました。

『ユリイカ』の加藤さんのインタビューと、北野新太さんの文章にある読み仮名は確認しています。あと、各新聞での加藤さんに関する「このかた」の初出も調べてみたんですが、どれもここ数年なのですよね。見落としがあったらすいません。

どちらが一般的かということは省きますから、「じんむいらい」という読み仮名も併記するのはどうでしょう? そして、現在の注釈にある「1955年の流行語」というのは間違いですから、『言語生活』誌の記事等を出典に示して改良したいです。こんなふうに

「神武以来」は「神武天皇による日本建国以来」を意味し、1956年(昭和31年)末から「神武以来の好景気」、「神武以来の女大臣」といった形で、日本の歴史上最も程度の大きいことや、初めてのことを強調する表現として流行した

ただ、読み方があることの出典は先に述べたAbemaのNHK杯か、niconicoの銀河将棋チャンネルの動画、将棋特番『神武以来の天才 加藤一二三』 その0になってしまいます。どちらも無料の公式映像で、niconicoの方は冒頭のタイトルコールで「じんむいらいのてんさい」と言っているのですが、こういうのはWP:TVWATCHか何かに抵触してしまいますか?

「神武以来」を立項するというのは発想にありませんでした。今の所、立てる予定はないです。ご提案ありがとうございます。--El2l2会話2019年1月21日 (月) 10:04 (UTC)[返信]

コメント 本記事は将棋棋士の伝記ですので、「加藤は『神武以来の天才』と呼ばれた」旨を出典を付して記述するのは適切ですが、「神武以来」という言葉について詳述するのは不適切です。これは先に申し上げた通りです。なお、WP:NOTDICTIONARYも参照して下さい。

現在の本記事の「神武以来」の記述について、出典の提示・出典との対応の修正などが必要である、というのも、先に申し上げた通りです。「神武以来」が最初に出る定義文、及び「経歴」節の「神武以来」節を、それぞれ下記のように修正するのが適当と思料します。出典は全てWP:Vを満たしております。

(定義文)

神武以来じんむこのかたの天才」[1][注釈 1]「1分将棋の神様」[5]の異名を持つ。

(経歴節の「神武以来」節)

神武以来じんむこのかたの天才」と呼ばれ[1][注釈 1]

注釈

  1. ^ a b 「神武以来」(じんむこのかた[2][3])(じんむいらい[4])とは、「極めて古い由来を持つこと」、あるいはその反対に「いまだかつて先例が存在しないこと」を意味する[2]

出典

  1. ^ a b 加藤一二三「インタビュー 芸術としての将棋 - "神武以来の天才"の軌跡」、『ユリイカ』(2017年7月号)、青土社 pp. 46-63
  2. ^ a b 広辞苑 第5版、『じんむ-このかた【神武以来】』
  3. ^ 日本国語大辞典ジャパンナレッジ版、2019年1月21日閲覧)『じんむ このかた』
  4. ^ 日本国語大辞典ジャパンナレッジ版、2019年1月21日閲覧)『じんむ=以来(いらい)[=以往(いおう)]』
  5. ^ 「interview 信念を貫き通した棋士人生60年」『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.36-49

--Pooh456会話2019年1月21日 (月) 22:03 (UTC)[返信]

コメント色々教えてくださってありがとうございます。 返信遅れてすみませんね。

「神武以来(じんむいらい)の天才」の用例をもう一つ。

DVD『加藤一二三という男、ありけり。』 NHKエンタープライズ、2017年

冒頭の大崎善生さんの発言がありました。

Template:読み仮名に「じんむいらい」を入れないのはWikipedia:表記ガイド#読み仮名の「常用漢字表に音訓があるものの読み仮名は不要」に従っているということでしょうか? --El2l2会話2019年1月24日 (木) 16:33 (UTC)[返信]

コメント ウィキペディアの方針「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」を良くお読みください。

ウィキペディアの編集に参加する以上、方針には従わねばなりません。

よって、本記事においては

  • 加藤氏の異名「神武以来の天才」について、検証可能なことを記述する。
  • 「神武以来」という言葉について、検証可能なことを注釈に簡潔に記述する。

としなければならず、上記の修正案のようになります。お尋ねの「Wikipedia:表記ガイド#読み仮名の「常用漢字表に音訓があるものの読み仮名は不要」」は特に関係ありません。

El2l2さんは「神武以来」について「真実」を一生懸命追及しておられるようですが、そういったことは、El2l2さんが既に行っておられるように、他の場所でお願いします。--Pooh456会話2019年1月25日 (金) 02:55 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。

「じんむいらい」のほうも、AbemaビデオやDVDを見ることで誰でも検証できると思うんですが、いかがでしょう?

今の版にある「神武以来」が流行語だったという記述は、知識がリンクしていくのがweb百科事典らしくて面白いと思ってますが、除去されますか?これもやっぱり、加藤さんの「神武以来の天才」と、昭和の流行語の「神武以来」の両者に言及した信頼できる出典が必要でしょうかね?

と、書いてきましたが、こちらとしては、頑固に食い下がりたいというわけではなく、3個上のコメントのような、ウィキペディア的な正しさを満たす記述にしていただいて構いません。

今後何か進展がありましたら、その都度、という感じで、よろしくお願いします。--El2l2会話2019年1月26日 (土) 13:15 (UTC)[返信]

コメント ご納得を頂き、誠にありがとうございました。それでは、上記の編集案にさらに出典を加えたもので、編集を実行しておきます。また何かありましたら、よろしくお願いします。--Pooh456会話2019年1月26日 (土) 17:43 (UTC)[返信]

コメントお久しぶりです。

これから書くことはPooh456さんだけに宛てているのではなく、議論には参加せずとも読んでくださっている方々も想定して書きます。

まず、この記事に「「神武以来」は「じんむこのかた」と読み」云々との文が投稿された時(2015年)、そこにはそう読む根拠の出典もなく、用例も付いていなかったんですよね。

そして、僕が調べた限りでは、その後からNHKの番組で加藤さんを紹介する際に「じんむこのかた」と読まれたり、大新聞や『ユリイカ』や『将棋世界』などがルビを振るようになって、それらの中のいくつかが出典(用例)として採用されました。

つまり、ウィキペディアのほうが出典に先行していたんですよね。

これって、ウィキペディアが社会を記述したんじゃなくて、社会のほうがウィキペディアに引っ張られてしまったんじゃないかと思うんです。

(もちろん、これは僕の想像に過ぎないという反論もあると思いますし、ウィキペディア以外の辞書などの影響もあると思います。)

ウィキペディアに誤りや誤解を与えるような記述が書き込まれて、マスメディアや出版物がそれに追従してしまった場合、それはウィキペディア的に正しい出典付きの記述として固定されてしまうのか?

というのが、この件を通して感じたことです。

・・・と、ここまで書いてから気がつきましたが、昨年末に「じんむこのかた」だけを載せていた冒頭部分を書き換えてくださった方がいらっしゃるんですね。

お読みくださり、ありがとうございます。--El2l2会話2020年1月5日 (日) 16:40 (UTC)[返信]

コメント 貴殿の言う「ウィキペディアに誤りや誤解を与えるような記述が書き込まれて、マスメディアや出版物がそれに追従してしまった場合、それはウィキペディア的に正しい出典付きの記述として固定されてしまうのか?」が、典型的な「独自研究」、もしくは「演説」です。

Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」では下記のように示されております。

直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。
この事実関係を確認するという過程は、ウィキペディアでは提供できません。それゆえに、独自研究は載せないという方針と検証可能なことのみ載せるという方針が大変重要となるのです。(注:要するに、査読に相当する機能はウィキペディアの外部に求めよということ)
分かり易く言えば、検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報だけをウィキペディアに記載することで、読者にも検証可能にするということです。編集者が独自に検証できるからといって、それは(一般的な)検証可能性を満たしたことにはなりません。

貴殿のご指摘の編集(差分)ですが、問題がありましたので、根拠を編集内容の要約欄に記して元の記述に復帰させました(差分)。--Pooh456会話2020年1月5日 (日) 18:04 (UTC)[返信]

コメントこの1年の間に確認できた「じんむいらいの天才」

超将棋 supported by タカラレーベン DJダニー@ニコニコ超会議2019[DAY1]

47分10秒頃、発言者は福崎文吾さんです。例によって、映像です。

想像ですけど、「じんむいらい(の天才)」がなかなか文字化されない(されてこなかった)のは、普通の読み方だからだと思うんですよね。

多分、各新聞(社)とか雑誌とか出版社だとかで振り仮名のガイドラインがあったりするんでしょう。

ところで、Wikipedia:信頼できる情報源の概要には、こうあります

一般に「出版」という用語は、伝統的な印刷物もしくはオンライン上の活字資料を想起させます。しかし、音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。それら媒体の情報源も活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です。その記録物がインターネット上にあれば便利ですが、それは必須条件ではありません。

これを読むと、大崎さんが加藤さんを「じんむいらいの天才」と呼んでいる、NHKが出したDVDは信頼できる情報源になるんじゃ?と思うんですが、どうでしょう。--El2l2会話2020年1月7日 (火) 15:36 (UTC)[返信]

(コメント) 「青年期の加藤氏は『じんむいらいの天才』と呼ばれていた。『じんむこのかたの天才』と呼ばれていた、というのは誤り」という旨を、当時を知る有識者(加藤氏本人でも可)が述べている映像が検証可能であれば、ウィキペディアの出典として使用できます。有識者としては、加藤氏本人以外に、生前の米長邦雄氏や丸田祐三氏、存命者なら内藤国雄氏や有吉道夫氏などが想定できます。

あるいは、言語学者、社会学者、歴史家などと社会から認められている人が、「研究成果」として同様のことを述べている映像が検証可能であれば、ウィキペディアの出典として使用できます。これは私見ですが「言語学者、社会学者、歴史家などと社会から認められていること」の一番わかりやすい基準は「その人がウィキペディアに『言語学者』『社会学者』『歴史家』などとして立項され、ケースEによる削除依頼が提出されていないこと」でしょう。--Pooh456会話2020年1月7日 (火) 16:11 (UTC)[返信]

コメント ん~、僕の希望としては、今の冒頭部の書き方だと「じんむこのかたの天才」だけが正しいように読めてしまう(実際には、そうは書いてないですけど、読めてしまう)から、冒頭部に「じんむいらい」と「じんむこのかた」を両方書くか、どちらも書かないか(両方書くほうが好ましいと思います)、にしませんか?ってことなんです。

米長さんの「どっちでもええやないか」の精神みたいな感じですかね。

昔から「じんむこのかたの天才」と呼んでいた人も居たろうと思っていますよ。--El2l2会話2020年1月9日 (木) 14:59 (UTC)[返信]

ウィキペディアは貴殿の希望を反映する場所ではありません。--Pooh456会話2020年1月9日 (木) 15:29 (UTC)[返信]

Pooh456氏の提示された「じんむこのかた」の文献出典と、El2l2氏の提示された「じんむいらい」の映像出典を典拠に両論併記でいいのでは。
El2l2氏のご指摘の「ウィキペディアの記述に引っ張られたのではないか」という懸念は理解できますが、現在では(国語的にも、加藤九段の異名としても)両方の読みが信頼できる情報源で検証可能と言え、その仮説自体は記事本文に書くべきではないでしょうね。
私見では、ウィキペディアの影響だけでなく、「じんむこのかた」の方がそれっぽいというのも「じんむいらい」が間違いという俗説が広まった理由として大いにあると思います(聞くvs訊くなど類例は多々)。--218.225.238.118 2020年6月4日 (木) 14:05 (UTC)[返信]
本記事では、WP:Vを明確に満たす出典を付して、「神武以来」に「じんむこのかた」というヨミを付しております。
一方、El2l2氏の提示された「じんむいらい」の映像出典は、「Aは加藤について『じんむいらいの天才』と言及した」「Bは・・・」ことを示しているに過ぎません。「AやBが加藤について『じんむいらいの天才』と言及した」旨を注釈として加筆するなら有り得るかとも思いますが(WP:IINFOに抵触するようにも思えます)、本文において両論併記とするには、「じんむこのかた」というヨミについて提示されているのと同じレベルでWP:Vを満たす出典が必要かと思われます。--Pooh456会話2020年6月6日 (土) 12:38 (UTC)[返信]

「現役最晩年」の記載内容[編集]

加藤一二三九段の、年度全敗記録は、2016年度ではなく、2015年度です。

公式戦23連敗の記録は、2015年3月19日の岡崎洋六段戦~2016年5月28日の中村修九段戦まで、つまり、2014年の最終局、2015年度全20局、2016年最初の2局の合計です。--126.36.34.54 2023年9月13日 (水) 10:48 (UTC)[返信]