ドリフト天国

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ドリフト天国( -てんごく)は、ディーズクラブが発行するドリフト走行専門誌。1997年4月創刊。

概説

創刊号は姉妹誌である『OPTION2』の臨時増刊号として発行された。以後隔月で18冊発行し、1999年10月号より月刊化した。2006年8月号をもって、通巻100号に達している。定価は発行以来500円。現在の編集長は川崎隆介。通称ドリ天。 ドリフト専門誌は他に平和出版より同様内容の「ハイパーカースタイルバトルマガジン(BM)」があったが平和出版倒産の為廃刊となった。アメリカでは「DRIFTING MAGAZINE」という専門誌がある。

ドリフト天国は、頭文字D等によって一般にドリフト行為が認知される以前より刊行されている雑誌である。ドリフト走行もしくはそれを好む読者に特化しており、基本的にコンテンツ及び取材等は読者に近い視線、表現で制作されている。

チューニングショップ自動車メーカー主体の他の自動車雑誌と違い、DIY情報中心に活動している姉妹誌『OPTION2』からの派生という事もあり、読み手である走り屋主体の誌面展開が特徴。現在ではSUPER GTなどのレースで活躍する谷口信輝やTVCMなどでも活躍する野村謙等ドリフトで有名になったレーシングドライバーの大半はこの雑誌に掲載経験があり、これ自体が全国的に認知された要因でもある。一般にドリフト走行を趣味にする者らには認知度の高い雑誌である。

公道でドリフト走行が行われているスポットの様子を紹介したり取材班が実際にその公道でドリフト走行を行うなど、違法行為や脱法行為(道路交通法違反、共同危険行為)を推奨・助長するかのような記事も散見される。

雑誌主催のイベントも開催しており、近年は3月1日に実施されるセフィーロミーティング、夏期に開催される全日本学生ドリフト王座決定戦やガソリンスタンド勤務者のためのドリコンであるオイラーズドリコン、6月には2代目デモカーのチェイサーがATな故に作られた「2PDミーティング」、そして2008年からは、デモカーの色がピンクであることから生まれた、「ピンクミーティング」も主催し、開催されている。

雑誌編集部の所有として「ドリ天セフィーロ」「ドリ天チェイサー」「ドリ天EP」と名付けられたデモカーがあり、特集記事も組まれる。 しかし、ドリ天セフィーロは2005年の炎上事件[1]によるダメージから修理、改修した結果車検に通すことが出来ず、現在廃車となり、プレスされた後、走り乃神社に埋葬されている。

主催大会

継続して開催されている大会

全日本学生ドリフト王座決定戦
夏期に開催される学生ドリフターの祭典。原則学生(大学生が主だが、なかには高校生もいる)しか参加できない限定性がウリで、優勝商品もタイヤやマフラー、はてはエアロやタービンなど多岐に渡り、「資金不足の典型的な例」と捉えられている学生ドリフターからの支持を集めている。
オイラーズドリコン
ガソリンスタンドの正社員、もしくはバイトをしているドリフターにのみ参加が許されるドリコン。優勝商品はエンジンオイルやミッションオイルなど、「オイル」にまつわるものが多い。

開催が終了している大会

セフィーロミーティング
日産・セフィーロ(A31以外でも構わないが、FR化への改造が困難なため、すっかりA31メインのミーティングになった)のみで構成されるワンメイクミーティング。参加台数は乗り換えや廃車などの理由で徐々に減少傾向にあったが、世界的に見ても稀な「セフィーロによるミーティング」ということもあり大事に継続されてきた。しかし象徴的存在のドリ天セフィーロが炎上事件に遭い、懸命の板金修理もかなわず廃車になってしまったことから川崎編集長自らが閉幕を宣言。2006年度の開催を持って歴史にピリオドが打たれた。

企画発のデモカー

ドリ天セフィーロ
日産・セフィーロがベース。青島文化教材社からプラモデルが発売され、雑誌上でもプラモデルコンテストが開催される。しかし、その直後に事故で炎上してしまう。トランクを切ってピックアップ化し、一度は復活を遂げるが、車検を通すことが出来ず、廃車になる。プラモデルコンテストの写真部門の優勝者は、「ピックアップ仕様で作ったから優勝したようだ」と、自身のブログで語っていた。
ドリ天チェイサー
トヨタ・チェイサー (JZX90)をベースに、ドリ天が新たに旗揚げした「2PD(=ツーペダルドリフトの意。オートマ車によるドリフトの新しい呼び方)ミーティング」のベンチマーク的存在にするべく作られたデモカー。エンジンは吸排気系+冷却系チューニングによるブーストアップで実測300ps前半にとどまっているものの、大排気量らしいトルクの立ち上がりに優れる1JZ-GTEの特性があり扱いやすい。エンジンルームのメイキングはWeldが担当し、「配線をいっさい見せない」という同社のコンセプトに基づきスッキリとしたエンジンルームを表現。足回りにはDG-5が奢られ、ボディ剛性クスコの6点式ロールケージで磐石の態勢。タイヤはフェデラル・595RSを履き、D1SLの予選会にも参加した経歴がある。着実にマイチェンを重ね、ホールドレバーがついたり、ブリッド・ガイアスも装着された。現在進行形で進化が続く唯一のデモカーである。また、2008年にはT67-25Gタービンが装着された。幾多のクラッシュした経緯があり、外装は誰がどう見てもボロボロである。現在リアフェンダーだけが黒いのはクラッシュを機に同誌の企画でDIY板金(パネルボンドを使ったフェンダー張替え)を行ったため。2009年オートサロンでは、マークXの内装を流用し、外装もVERTXのエアロを装着した姿で展示された。
ドリ天EP
トヨタ・スターレット4WD (EP85)をベースに、広島県に本拠地を置くドリフトチーム・ネオフォースのメンバーでありKP61乗りの岩井照宣選手とのコラボレーションで開始された。最初は4WDをFRにすることから始まり、そこから切れ角アップ→エンジンのブーストアップ→オートサロン展示に向けて外装仕上げ・・・と、文章での難易度表記とは裏腹になかなかハードなメニューが続き、オートサロン開始までひと月を切ったあたりで岩井選手が夜逃げとも取れる文章を書くなど、スターレットを知り尽くした男でさえも存分に苦しめた。しかし予定通りに2005年度のオートサロンに間に合わせ、春先にはドリフトも披露。無事に企画倒れから脱却することができた。
ドリ天クレスタ
ドリ天チェイサーの後釜となったトヨタ・クレスタ、グレードはルラーンG、ミッションはチェイサーと同じATでありエンジンもJZX90のVVT-iなしのものが装備されており、DIY特集でフューエルリッドをウエットカーボン化されている以外は外観の変化はほとんどない、これからのドリ天デモカーとして発展していくと思われたが、茂原ツインサーキットでドリ天セフィーロのデジャヴのように再び炎上、完全に廃車となってしまった。

脚注

  1. ^ 2005年某日の富士スピードウェイ・ドリフトコースにて、川崎編集長が第一コーナーのタイヤバリアにリアから突っ込んでクラッシュ。折れたアームがガソリンタンクに穴を空けて炎上。懸命の消火活動も虚しく後ろ半分を灰にしてしまった事件のこと。

関連項目

外部リンク