ティラミス

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ティラミス。
ティラミスの断面。
調理の途中。
ティラミスの起源となったとされているクレマ・デッラ・ドゥケッサ(crema della duchessa)の現代風盛り付け。
ビスコッティ・サヴォイアルディ

ティラミスイタリア語: Tiramisùヴェネト語: Tiramesù [tirameˈsu])は、北イタリア生まれのデザートの一種。

語源の「Tirami su!」はイタリア語で「私を引っ張りあげて[1]」、また転じて「私を元気づけて」の意。世界的に有名なイタリアのデザート。ティラミスの「父」と呼ばれたイタリア人菓子職人アド・カンペオル(Ado Campeol)によって考案された。

作り方

適度な大きさの型にエスプレッソを染み込ませたビスコッティ・サヴォイアルディサヴォイアのフィンガービスケット)を敷き詰め、その上からマルサラワイン砂糖と共に卵黄を温めながらかき立てたカスタードソースザバイオーネ」とマスカルポーネチーズを合わせた「ザバイオーネ・クリーム」を流し入れ、同工程を2 - 3層繰り返し、型を埋め尽くし冷し固める。仕上げは表面にココアパウダーチョコパウダー、時にエスプレッソの豆を挽いた粉をふりかけて風味付ける[2]

歴史

世界

20世紀も後半を大きく過ぎてから生まれた新しいデザート[3]だが、発祥については、名乗りをあげるいくつかの土地の間で論議となったことがある。原料のマスカルポーネは伊ロンバルディア州チーズ、ビスコッティはピエモンテ州、クリームのベースとなるザバイオーネもピエモンテ州の郷土デザートである。しかし、現代においては他州でもそれらの原料を容易に入手でき、ザバイオーネも良く知られたクリームであることから考えると、この2州に特定するのは困難で、ヴェネツィアまたはトレヴィーゾではないかと言われている。

米国では1970年代終わりから1980年代初めにかけてブームになった。

日本

1980年代後半に起きたイタリア料理ブーム(1988年頃から「イタ飯」と呼ばれる)に乗り、それまで都心の高級イタリアンレストランのメニューには存在したティラミスだが、1986年にデニーズがメニューに導入した。ただその時はほとんど知名度は上がらず、1990年バブル期にHanako(同年4月12日号)が取り上げたのを機に大ブームになった。Hanakoをきっかけにテレビのグルメ番組でも紹介され、デパートでもマスカルポーネの代用品、業務用マスカポーネ(植物性油脂)が置かれるようになり、作り方も紹介された。また街のケーキ店や各メーカーも商品化していくようになり、後にコンビニのデザートコーナー(その頃はまだスイーツと言わずデザートといった)などにも置かれるようになった。その結果、ショートケーキ、モンブラン、シュークリームなどと共にデザートの一ジャンルとして定着した。

ただし1980年代の時点では、都心の高級レストランはもとよりデニーズの店舗数は限られており、メニューにあったことも多くの人は知らなかった。当時はまだインターネット社会になっておらず、お取り寄せもできない。バブル期はティラミスは情報として知られただけで、雑誌で紹介された店に足を運んだのは一部に限られ、多くの人は実際には口にしていなかった。コンビニなどで商品化され多くの人が口にするようになったのは、Hanakoで取り上げられて大分経ってからのことである。

1970年代にスポンジケーキ風の元祖チーズケーキがブームになり定着したのに続いて、1980年代初頭の日本ではレアチーズケーキが大ブームになり、チーズクリームを包んだクレープも80年代初頭の時点で既に一般スーパーで市販され、一部学校給食にも出ていた。その約10年弱後に起きたティラミスブームだが、ティラミスが新鮮に受け取られたのはチョコレートパウダーとコーヒーシロップが使われていたことだった。それまではチョコやコーヒーとチーズクリームの組み合わせはまだ珍しかった。

レ・ベッケリエ(Le Beccherie)

ティラミス発祥の地と言われるヴェネト州トレヴィーゾにあったレストラン[4][5]で、シェフのロベルト・リングアノットがバニラアイスクリームを作っている際の手違いから生まれたと言われている。

リングアノットが卵と砂糖の入ったボウルに誤ってマスカルポーネチーズを落としてしまったのだが、それがとてもよい味だったので、アド・カンペオルの妻アルバに伝えた。2人は試行錯誤し、最終的にコーヒーに浸したビスコッティ・ザヴォイアルテを加え、ココアをふりかけて「ティラミス」を完成させた[6]

オーナーであったアド・カンペオルは2021年10月30日に93歳で死去。ヴェネト州知事のルカ・ザイアが自身のFacebookで哀悼の意を表した[7]

参考文献

関連項目

脚注