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タリゴ船団の戦い

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タリゴ船団の戦い
戦争第二次世界大戦
年月日:1941年4月16日
場所チュニジア沿岸の地中海ケルケナ諸島
結果:イギリスの勝利
交戦勢力
イギリス イタリア
指導者・指揮官
フィリップ・マック大佐 ピエトロ・デ・クリストフォロ中佐
戦力
駆逐艦4 駆逐艦3、商船5
損害
駆逐艦1沈没、41名戦死 駆逐艦3、商船5沈没、1800名以上戦死
地中海の戦い

タリゴ船団の戦いは、1941年4月16日に地中海で生起したイギリス海軍イタリア海軍の間の海戦である。戦いの名前はイタリア側の旗艦、ナヴィガトーリ級駆逐艦ルカ・タリゴに由来する。戦いはチュニジア沿岸のケルケナ諸島付近でおこなわれた。

イタリアの3隻の駆逐艦、ルカ・タリゴとダルド級バレノランポナポリからトリポリへ向かう5隻の商船からなる船団を護衛していた。指揮官はピエトロ・デ・クリストフォロ中佐であった。船団を構成していた船はドイツ船Adana、Aegina、Arta、Iserlohnとイタリア船サバウディア(Sabaudia)で、ドイツ船3隻は兵員を残りは弾薬を運んでいた。

一方、イタリア・北アフリカ間の補給線を攻撃するため、4月11日にフィリップ・マック大佐が率いるイギリス海軍第14駆逐隊の駆逐艦4隻、ジャーヴィス(旗艦)、ジェイナスヌビアンモホークがマルタに到着していた。

15日、船団は偵察機に発見された。その報告を受け第14駆逐隊が出撃した。

ジェイナス以外のイギリスの駆逐艦はレーダーを装備しておりイタリア船団を不意打ちすることが出来た。16日午前1時58分頃ヌビアンがレーダーで船団を発見した。午前2時20分、ジャーヴィスが砲撃を開始した。攻撃を受けた駆逐艦ランポやバレノはすぐに戦闘不能となり、またサバウディアは魚雷が命中して轟沈した。結局、イタリア側は商船5隻すべてと駆逐艦2隻を失った。また、もう1隻の駆逐艦ランポは漂流後擱座した。一方イギリス側も、ルカ・タリゴが沈む前に発射した魚雷が命中した駆逐艦モホークが沈んだ。

翌日おこなわれたイタリアの救助活動で約1200名が救助された。擱座した駆逐艦ランポは修理されて1942年5月に再就役している。

References