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ソールズベリー侯

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ソールズベリー侯(英:Marquess of Salisbury)は、イギリス爵位の1つ。その創設は1789年侯爵に叙せられたジェームズ・セシルの時に遡る。ソールズベリー侯として最も有名なのは、19世紀末から20世紀初にかけて3度もイギリスの首相を務めた第3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。

ソールズベリー卿の従属称号は以下の通り。

  • ソールズベリー伯爵(1605年創設)
  • クランボーン子爵(1604年創設)
  • セシル・オブ・エッセンドン男爵(1603年創設) エッセンドンはラットランド州の地名

上記のうち、ソールズベリー侯の後継者が用いる儀礼称号は「クランボーン子爵」である。

ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばにヘンリー2世の庶子であるパトリック・ドゥ・ソールズベリーのために創設された。この称号は代々継承され、5代目のアリス・プランタジネットまで続くが、1322年にアリスの夫であるランカスター伯トマス・プランタジネットエドワード2世に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。

1337年、ソールズベリー伯は、国王エドワード3世の寵臣でスコットランドとの戦闘で功のあったウィリアム・モンタキュートのために再創設された。この爵位は後にモンタキュート家と姻戚関係を結んだネヴィル家に引き継がれ、リチャード・ネヴィルが継承する。だがこの時期イングランド国内で薔薇戦争が勃発し、1471年にリチャード・ネヴィルが戦死すると、その爵位と所領は敵方であるヨーク家に没収される。

翌1472年、ソールズベリー伯は国王エドワード4世の弟クラレンス公ジョージに与えられた。クラレンス公ジョージがリチャード・ネヴィルの娘イザベル・ネヴィルの夫であることを法的根拠としたのである。しかしイザベルの妹アン・ネヴィルがクラレンス公の弟グロスター公リチャードと結婚すると、この広大なリチャード・ネヴィルの遺産をめぐって兄弟の対立が激化する。1476年に姉イザベルが死ぬと形勢はクラレンス公にとって不利になり、結局1478年にクラレンス公ジョージは反逆罪で処刑される。

クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公リチャードの息子のエドワード・オブ・ミドルハムである。彼は父グロスター公が即位したので、後にプリンス・オブ・ウェールズになるが、1484年に急死し、爵位も消滅する。この爵位は1485年、テューダー朝のヘンリー7世がリチャード・ネヴィルの孫でクラレンス公の息子のエドワード・プランタジネットが継承する。エドワードは1499年に反逆罪で処刑されるが、爵位が正式に消滅したのは1504年のことである。ソールズベリー伯は1513年にエドワードの姉マーガレット・ポールが復活させたが、1539年には剥奪されてしまう。

その後、ソールズベリー伯はジェームズ1世の近習だったロバート・セシルに叙爵された。これ以降は彼の血統がソールズベリー侯を襲爵している。

ハットフィールド・ハウス (1880年)

現在のソールズベリー侯は、イースト・ドーセットクランボーンにあるハットフィールド・ハウスに住んでいる。

ソールズベリー伯 第1期(1145年頃創設)

第6代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル

ソールズベリー伯 第2期(1337年創設)

ソールズベリー伯 第3期(1472年創設)

ソールズベリー伯 第4期(1478年創設)

ソールズベリー伯 第2期(1485年復帰)

初代ソールズベリー伯ロバート・セシル

ソールズベリー伯 第5期(1605年創設)

ロバート・ガスコイン=セシル

ソールズベリー侯(1789年創設)