セバスティアン・ランベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年3月6日 (日) 01:46; Kujiragami (会話 | 投稿記録) による版 (→‎外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
セバスティアン・ランベル
名前
本名 セバスティアン・パスクアル・ランベル
Sebastián Pascual Rambert
愛称 El avioncito
ラテン文字 Sebastián RAMBERT
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1974-01-30) 1974年1月30日(50歳)
出身地 ブエノスアイレス州ベルナル英語版
身長 181cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 51 (14)
1995 イタリアの旗 インテル 0 (0)
1996 スペインの旗 サラゴサ (loan) 20 (5)
1996-1997 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 28 (10)
1997-2000 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 37 (5)
2000-2001 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 11 (1)
2001-2002 ギリシャの旗 イラクリス 11 (1)
2002-2003 アルゼンチンの旗 アルセナル 3 (0)
代表歴
1995-1996 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 8 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セバスティアン・パスクアル・ランベル(Sebastián Pascual Rambert、1974年1月30日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州ベルナル英語版出身の元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワードランベルトとも表記される。

フランス人移民の子孫。ランベルの父アンヘル・ランベル英語版は、アルゼンチン出身のFWとしてCAラヌースでキャリアを開始し、その後オリンピック・リヨンへ移籍すると二重国籍を取得、最終的にフランス代表でプレーした。

経歴[編集]

1995年にCAインデペンディエンテからインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。ランベルは、同胞のハビエル・サネッティと共に加入。移籍金500万ユーロ[1]と大きく期待されたが、サネッティのように成功することは出来なかった。それどころか、外国人枠の関係もあり(サネッティ、ロベルト・カルロスポール・インス)、リーグ戦では1試合も出場することが出来ず、1996年にレアル・サラゴサへレンタル移籍[2]することで、ようやく欧州で試合に出場できた。ここでは、インデペンディエンテでコンビを組んでいたグスタボ・ロペスと再びパートナーになり、強力なサイドを形成[2]。移籍後初試合のレアル・バリャドリード戦では、2ゴールを決めセンセーショナルなデビューとなったが、最終的には5ゴールと尻すぼみに終わり1シーズンで退団した。その後、ボカ・ジュニアーズCAリーベル・プレート、そして古巣のCAインデペンディエンテと転々とした。その後、ギリシャイラクリス・テッサロニキFCで再び欧州へ行き短期間過ごした。ハート・オブ・ミドロシアンFCへの移籍するチャンスがあったが[3]アルセナルFCと契約するためにアルゼンチンへと戻り、2003年に引退した。

以来、ランベルはラモン・ディアスに師事し、クラブ・アメリカCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロでアシスタントコーチを務めた。CAインデペンディエンテボカ・ジュニアーズCAリーベル・プレートと"ビッグ5"のうち3チームでプレーした数少ない選手だった。

所属クラブ[編集]

スペインの旗 レアル・サラゴサ 1996 (loan)

脚注[編集]

  1. ^ Los Cracks que no fueron: Sebastián Rambert, el avioncito que se estrelló en pleno vuelo (Por Ezequiel Juariste)
  2. ^ a b El 'Avioncito' aterriza en los banquillos
  3. ^ Hearts check Argentine ace

外部リンク[編集]