スタニスワフ・ヴィスウォツキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。めしあん (会話 | 投稿記録) による 2021年8月7日 (土) 20:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

スタニスワフ・ヴィスウォツキ
基本情報
生誕 (1921-07-07) 1921年7月7日
出身地 ポーランドの旗 ポーランドジェシュフ
死没 (1998-05-31) 1998年5月31日(76歳没)
学歴  スコラ・カントルム
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

スタニスワフ・ヴィスウォツキStanisław Wisłocki, 1921年7月7日 - 1998年5月31日[1]は、ポーランド指揮者。「スタニスラフ・ヴィスロツキ」と表記されることもある。

経歴

ジェシュフ生まれ。パリスコラ・カントルムジョルジュ・シモニスに作曲と指揮、ルーマニアティミショアラ音楽院でエミル・ミハイルにピアノを学び、ジョルジェ・エネスクの薫陶も受けた。1945年にポーランド室内管弦楽団を組織し、1947年からポズナニ・ナショナル交響楽団の首席指揮者となり、1958年まで務めた。 1961年から1967年までワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を歴任したあと、1978年から1984年までポーランド放送交響楽団の首席指揮者を務めた。

指揮法の指導者として、1948年にポズナニ音楽院の講師となった後、1955年にワルシャワ音楽院の講師に転出し、1958年には同音楽院の指揮法の主任教授として後進の指導に当たった。主な弟子に、ヤツェク・カスプシクらがいる。

1959年にスヴャトスラフ・リヒテルとの共演で録音した一連のレコードはよく知られる(特にラフマニノフピアノ協奏曲第2番は名高い)。

ワルシャワで死去。

脚注

  1. ^ [1]