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ジョルジュ・ティレ=ボニェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュルジュ・ティレ=ボニェ
Georges Tiret-Bognet
ナダールによる撮影 (年代不明)
生誕 (1855-01-15) 1855年1月15日
フランスの旗 フランス王国サン=セルバン
死没 1935年10月15日(1935-10-15)(80歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ[1]
国籍 フランスの旗 フランス
著名な実績 絵画 イラスト
運動・動向 戦争画 戯画
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ジョルジュ・ティレ=ボニェ (Georges Tiret-Bognet1855年1月15日 - 1935年10月15日) はフランス画家イラストレーター製図工風刺画家。軍事場面のイラストや戯画を得意とした。

経歴

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オ・ラパン・アジル」(1910年)[2]

ジョルジュ・ティレ=ボニェは1855年1月15日にサン・マロのサン=セルヴァンに生まれた。彼の父親はシャルル・ティレ=ボニェ、母親はアメリ・マリー・デレといい、彼は四番目の子供だった。彼は特別な配慮によって兵役を免除され、パリ国立高等美術学校に入学した。

彼は文芸サークル「レ・イドロパット」(水療法。水を恐れて酒を飲むという含みもある)のメンバーとして機関紙の製図工を務めていた。 彼はマリー・ヴィジェが経営するカフェ「La Belle Gabrielle」にモーリス・ユトリロジュール・デパキと通った。彼はカルチェ・デ・ラ・グーテ=ドールに住んだが、貧困にあえいでいた。結婚後はカヴェ通り17番に移り住んだが、妻は栄養失調に陥り、彼も苦しみを紛らわせるための酒で体を壊し、夫婦は170フランの滞納家賃を抱えた。彼は1935年10月15日に貧困のうちに世を去り、ペール・ラシェーズ墓地45区に埋葬された。

彼はとくに軍事場面のイラストで著名である。出版者のメゾン・コンタンや、ジュール・ヴェルヌジョルジュ・ラフォレジャン・ドローなどの小説にイラストを提供したほか、"ル・シャ・ノワール"、"L’Ouvrier"、"ル・リール"、"Le Triboulet" などの定期刊行物に戯画を寄稿している。

彼の作品はカナダ国立美術館メトロポリタン美術館ベルトラン美術館[3]ミュゼ・ド・イマージュミュゼ・ド・イストレ・ヴィヴァンなどに収蔵されている。

作品

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脚注

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  1. ^ Arbre généalogique de Georges Tiret-Bognet par Pierre Barbier de La Serre sur Geneanet.
  2. ^ Philip Dennis Cate et Saskia Ooms, Collection Weisman & Michel Fin de siècle. Belle Époque (1880-1916), Paris, Musée de Montmartre, 2019, nb p.|224 EAN|9782754111201.
  3. ^ Base Joconde|02470000304|Soirée chez Rollinat.
  4. ^ 現行の日本語書籍版はすべてモノクロ図版

参考文献

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  • Dictionnaire Bénézit
  • Dictionnaire des peintres à Montmartre : Peintres, sculpteurs, graveurs, dessinateurs, illustrateurs, plasticiens aux sp-|XIX|et|XX|s, Éditions André Roussard, 1999, ISBN|978-2951360105.

外部リンク

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