ジャック・ソンゴォ
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名前 | ||||||
本名 | ジャック・ソンゴォ | |||||
ラテン文字 | Jacques Songo'o | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | カメルーン | |||||
生年月日 | 1964年3月17日(60歳) | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1984 - 2002 | カメルーン | 46 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジャック・ソンゴォ(Jacques Songo'o, 1964年3月17日 - )は、カメルーン・サクバイェヌ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。
フランク・ソンゴォは、息子でありカメルーン代表に選出されたことがある。
又、フランスの市民権も取得している。
経歴
首都にあるトネール・ヤウンデでプロのキャリアをスタートさせ、リーグ2連覇を達成。
その後フランスに渡る。ル・マンUCでの活躍が認められFCメスにて正GKの座を確立させる。
1996 - 97シーズンにデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍。このシーズンのサモラ賞に外国人として初選出される活躍を見せてリーグ3位に貢献。その後監督交代が相次ぎチームは低迷したが、在籍3年目に就任したハビエル・イルレタ監督が就任すると、ヌールディン・ナイベト、ドナトとの両CBと共に堅牢な守備陣を構築し、1999-00シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を達成し、「スーペル・デポル」として一時代を築いた。その後フランシスコ・モリーナの台頭により出番が減少し、古巣FCメスに復帰。ここで26試合に出場するも2部降格となった。
2003 - 04シーズンにデポルティーボ・ラ・コルーニャへ復帰しこの年限りで引退。
カメルーン代表では1984年ロサンゼルス五輪に出場した後、10月4日韓国戦で代表デビュー。ワールドカップもイタリア、アメリカ、フランス、日韓大会に出場。アメリカ大会ではロシア戦の1試合に出場。フランス大会では正GKとして3試合に出場。日韓大会では出場する機会はなかったが年長者としてチームをまとめていた。世界選抜にも度々選ばれるなど世界的なGKとしての地位を確立した。
エピソード
- 1999 - 00シーズン、CDヌマンシア戦でコーナーキックからゴールを決めたかと思われたが審判によって取り消されてしまう事件があった。
- 2002 - 03シーズン、FCメスを自由契約となる。家族の希望によりスペインに戻ってきていたところを、第3GKを探していたデポルティーボ・ラ・コルーニャと条件が一致し、デポルティーボ・ラ・コルーニャに復帰した。
代表歴
所属クラブ
- トネール・ヤウンデ 1984 - 1989
- スポルタン・トゥーロン・ヴァール 1989 - 1992
- ル・マンUC 1992 - 1993
- FCメス 1993 - 1996, 2001 - 2003
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ 1996 - 2001, 2003 - 2004
タイトル
代表
- カメルーン
- アフリカネイションズカップ 1回(2002)
クラブ
- トネール・ヤウンデ
- カメルーン・プレミア・ディビジョン 2回(1986 - 1987, 1988)
- FCメス
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ 1回(1995 - 1996)
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- リーガ・エスパニョーラ(プリメーラ・ディビシオン) 1回(1999 - 2000)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 1回(2000 - 2001)
個人
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- サモラ賞 1回(1996 - 1997) ※外国人として初選出