コーチャン島沖海戦
コーチャン島沖海戦 | |||||||
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タイ・フランス領インドシナ紛争中 | |||||||
戦闘経緯図 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
フランス領インドシナ | タイ王国 | ||||||
指揮官 | |||||||
Régis Bérenger | Luang Phrom Viraphan | ||||||
戦力 | |||||||
軽巡洋艦 1 通報艦 2 砲艦 2 |
海防戦艦 2 水雷艇 6 | ||||||
被害者数 | |||||||
軽巡洋艦 1小破 |
海防戦艦 1大破 水雷艇 2沈没、1大破 |
コーチャン島沖海戦(コーチャンとうおきかいせん)とは1941年1月17日に起きたタイ海軍とフランス海軍の戦い。
戦闘
戦闘背景
1940年11月23日タイ・フランス領インドシナ紛争が勃発。タイは1941年1月フランス海軍極東艦隊を撃破し制海権を確保するため、2個戦隊(各戦隊は海防戦艦1、水雷艇3を基幹)から成る艦隊をシャム湾西部のコーチャン島(チャーン島)へ向け出撃させた。
一方これを察知したフランス側はただちに第7戦隊を編成しカムラン湾を出撃させた。
戦闘前日
カムラン湾を出撃したフランス艦隊は1月16日シャム湾に侵入した。このとき両軍は航空隊による索敵を行っていた。タイ側は日本製の爆撃機三菱 キ-30やアメリカ製観測機O2Uやマーチン B10爆撃機を投入していたが結局見つからず、逆にフランス側は水上機ロワール 130がタイ艦隊の動向を捉え位置をほぼ特定していた。
戦闘経過
1月17日払暁、コーチャン島沖でフランス艦隊は濃い朝靄の中、タイ艦隊の不意を突いて攻撃を開始し完璧な奇襲となった。海防戦艦トンブリを旗艦とするタイ第2戦隊はフランス艦隊を待ち伏せようとしていたが索敵に失敗したことにより、フランス側に先手を取られる結果となった。火力に劣る水雷艇ソンクラがフランス艦隊旗艦「ラモット・ピケ」により撃沈され、炎上していた水雷艇チョンブリ以下は「ツール」「マルヌ」により他の水雷艇もろとも撃破される。旗艦トンブリも射距離12,000mから20cm主砲による砲撃を開始したが、練度不足でなかなか命中せず、逆にフランス艦隊の集中砲火を浴び艦橋が炎上した。更に、右舷側に浸水を起こした上、射撃指揮装置が燃えてしまったので戦闘不能となり撤退を開始したが、火災を消火しきれず同日16時40分に横転・擱座。僚艦スリ・アユタヤ以下の第1戦隊が到着したときには戦闘は終結しており、生存者を救助して撤退した。
一方フランス艦隊は1隻の損失も無く帰還を開始、これに対しタイ軍はO2U観測機による爆撃を行うも命中弾を得られずこれを取り逃がしてしまう。
結局、索敵や砲撃の精度や技量の差がそのまま勝利につながり、タイ海軍の技量不足を見せてしまい、フランス側の「ワン・サイド・ゲーム」となってしまった。
両軍戦力
タイ海軍
フランス海軍
- 第7戦隊(臨時)
- 軽巡洋艦 - ラモット・ピケ
- 通報艦- (ブーゲンヴィル級通報艦)デュモン・デュルヴィル、アミラル・シャルネ、(アラ級通報艦)、ツール、マルヌ
関連項目
参考文献
- 木俣滋郎 著『欧州海戦記』(光人社、2000年)p90~p102。
- 「世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦」(海人社)
外部リンク
- La bataille de Koh Chang (janvier 1941)本海戦を扱ったページ。