コローナイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年2月27日 (日) 02:19; IXTA9839 (会話 | 投稿記録) による版 (仮リンク解除)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
コローナイ
αἱ Κολωναί
コローナイの位置(トルコ内)
コローナイ
トルコにおける位置
コローナイの位置(マルマラ地方内)
コローナイ
コローナイ (マルマラ地方)
コローナイの位置(チャナッカレ県内)
コローナイ
コローナイ (チャナッカレ県)
所在地 トルコ共和国チャナッカレ県エジネ郡英語版アレムシャー
地域 トローアス
座標 北緯39度41分23秒 東経26度9分48秒 / 北緯39.68972度 東経26.16333度 / 39.68972; 26.16333座標: 北緯39度41分23秒 東経26度9分48秒 / 北緯39.68972度 東経26.16333度 / 39.68972; 26.16333
歴史
完成 紀元前7世紀

コローナイ (古代ギリシア語: αἱ Κολωναί; ラテン語: Colonae) はアナトリア半島トローアスの南西部に存在した古代ギリシア都市。現在ベシクテペ(4つの丘)という名で知られている丘の上にあったと考えられており、南方のラリサ英語版と北方のアレクサンドリア・トローアスの中間に位置していた。現在のトルコ共和国チャナッカレ県エジネ郡英語版アレムシャー村の東方3.3 kmに位置している[1]。コロナイという名は古代ギリシア語で「丘」を意味するコローネー(κολώνη)という単語の複数形で、東地中海ではいくつかの丘がある岬によく付けられる地名だった[2]。トローアス北東部のランプサコス英語版近くの丘にあった集落コローナイ英語版とは異なる[3]

歴史[編集]

遺跡から発見されている陶器から、コローナイには先史時代から人が住んでいたことが分かっているものの、それから古代ギリシアの時代まで継続して集落が存在していたのかは不明である[4]。それとは別に紀元前7世紀の遺跡からギリシア陶器片が発見されており、これがギリシア都市の創設期にあたる[5]。コローナイのダエース(紀元前4世紀?)が残した記録によれば、彼の時代のコローナイ住民はアイオリス人がこの都市を建設したと考えていた[6]レスボス島もアイオリス人に起源をもっており、紀元前427年にレスボス島のミュティレネアテナイにより制圧されミュティレネの反乱が鎮圧された後には、ミュティレネやコローナイはまとめて「アクタイア諸都市」と呼ばれている。おそらく、コローナイを建設したのはミュティレネの住民で、彼らがその後もコローナイを支配していたと考えられている[7]。ローマ帝国期の地理学者ストラボンの断片的な記録によれば、コローナイはテネドス島地域に属するものではなく、文献などからレスボス島地域に属するものだと判断できたとされている[8]

古典古代の文献から得られるコローナイの情報は極めて少ない。紀元前478年にスパルタの将軍パウサニアスビュザンティオンから逃れた先を「コローナイ」に比定する説がある。ただしトゥキュディデスは、これを「ランプサコスのコローナイ」であるとしている[9]。紀元前427年にミュティレネの支配が終焉してからはデロス同盟に属し、紀元前425/424年に1,000ドラクマを貢納した。この金額は、同年に近隣のラリサが3タレントを納めたのと比べれば少額である[10]

紀元前399年、コローナイはダルダノス英語版の僭主マニア英語版の手引きによりアケメネス朝への編入を余儀なくされた。しかし翌年には、スパルタの将軍デルキュリダスにより解放された[11]。紀元前4世紀を通じて、コローナイは表にアテーナーの頭を刻印した硬貨を鋳造していた。古典古代における近隣のラリサとの関係はあまり分かっていないが、半独立状態にあったようである[12]。紀元前310年頃にはアンティゴニア・トローアスの周辺集落と見なされており、ある時点でこの集落は放棄されたと考えられている[13]

コローナイのダエース[編集]

コローナイ出身の人物として文献上唯一知られているのが歴史家コローナイのダエース(Δάης ὁ Κολωναεύς)であるが、彼自身の人物像もはっきりしていない。地元史家だった彼は紀元前5世紀後半以降の人物と考えられており、またコローナイ市民であることからこの都市がアレクサンドリア・トローアスに併合される紀元前310年ごろ以前の人物であると考えられる。それゆえ、彼は紀元前4世紀に活躍した人物であると推定されている[14]。彼の存在は、彼のコローナイ史に関する著作のごく一部をストラボンが「コローナイのダエースによれば、アポローン・キライオスの神殿はギリシアから海を渡ってきたアイオリス人によってコローナイに初めて建設された。」と引用したことで後世に伝えられている[15]。アポローン・キライオス信仰はトローアス南部とレスボス島のもので、ホメーロスの『イーリアス』でも言及されている [16]。アイオリス人によるコローナイ建設という記述から、紀元前4世紀のコローナイ住民がアイオリス人の子孫であるという自己認識を持っており、ダエースがコローニアのポリスのかなり早い時期の歴史を記録していたことが推測できる。アイオリス人の系統をひいていることは、コローナイで発行された硬貨の銘がギリシア語アイオリス方言英語版で書かれていたことからも裏付けられている[17]

キュクノス[編集]

ギリシア神話には、トロイア戦争期のコローナイの王キュクノスが登場する。彼は戦争の初日に、アキレウスに殺されたという。ただしこの話は紀元前7世紀後半に書かれた『イーリアス』にはなく、それより遥か後に書かれた『キュプリア』で語られているものである[18]。紀元前5世紀の詩人ピンダロスもキュクノスという王に2回言及していることから、その頃までにはキュクノスの神話がある程度広まっていたと考えられる[19]。紀元前1世紀半ばの歴史家シケリアのディオドロスは、このキュクノスをコローナイのすぐ北にあるテネドス島の住民と結びつけた。すなわち、テネドスはキュクノスの子テネースが建設し、名祖となったのだという[20]。さらに2世紀後の旅行家パウサニアス も、神話上のコローナイ王とテネドスの建設者の関連を示す似たような話を紹介している[21]

脚注[編集]

  1. ^ Cook (1973) 216–17.
  2. ^ LSJ s.v. κολώνη; Apion ap. Apollodorus, Lexicon p. 102; Bürchner RE XI (1922) s.v. Kolona, Kolonai, Kolone, coll. 1109–10.
  3. ^ Strabo 13.1.19, Arrian, Anabasis Alexandri 1.12.6. Cf. Bürchner RE XI (1922) s.v. αἱ Κολωναί (3) col. 1110, who, however, reduplicates the passages from his entry on Kolonai in the southern Troad for 'Lampsacene' Kolonai, even when context indicates that one and not the other is meant.
  4. ^ Cook (1973) 218, 220.
  5. ^ Cook (1973) 217.
  6. ^ See above, Daës of Kolonai.
  7. ^ Carusi (2003) 35-7.
  8. ^ Cook (1973) 197-8, Carusi (2003) 36, Radt (2008) 497.
  9. ^ Thucydides 1.131.1, Nepos, Pausanias 3.3, Themistoclis Epistulae 14 (ed. Hercher). 'Lampsacene' Kolonai is certainly much closer: c. 200 km vs. c. 290 km. Simon Hornblower, the most recent commentator on Thucydides (on which the other two sources are based), assumes without question that Kolonai near Larisa is meant: Hornblower (1991) 217.
  10. ^ IG I3 71.III.135. 最初の一文字しか確認できないが、コローナイの名を指しているものとされている。なお現存する同様の表でも、紀元前422/421年のもの(IG I3 77.IV.14-27)にはコローナイが言及されていない。
  11. ^ Xenophon Hellenica 3.1.13, 16, Diodorus Siculus 14.38.3.
  12. ^ Carusi (2003) 35-6.
  13. ^ Cook (1973) 220.
  14. ^ Schwartz (1901).
  15. ^ Strabo 13.1.62 = K. Müller, Fragmenta Graecorum Historicorum IV.376.
  16. ^ Strabo 13.1.62 lists a series of cults, rivers, and places known as Killa or Killaios in this region; Homer, Iliad 1.38.
  17. ^ Coin legend: ΚΟΛΟΝΑΩΝ (KOLONAŌN, 'of/belonging to Kolonai'). Dialect: Hodot (1990) 95-6. Coins (c. 400 - c. 310 BC): B.V. Head, Historia Numorum2 543, SNG Cop. Troas 276–81.
  18. ^ Cypria in EGF, p.19.
  19. ^ Pindar, Olympian 2.82 (476 BC), Isthmian 5.39 (478 BC). 以下の文献では、キュクノスが不死身であったと記されている。 Sophocles, Poemenes fr. 500 Aristotle, Rhetoric 1396b17, Palaephatus, 'On Cycnus' in De Incredibilibus 11, Apollodorus, Bibliotheca 3.31, Ovid, Metamorphoses 12.70-145, Tzetzes on Lycophron, Alexandra 232.
  20. ^ Diodorus Siculus, Bibliotheke 5.83.
  21. ^ Pausanias 10.14.1-4.

参考文献[編集]

  • E. Schwartz, RE IV (1901) s.v. Daës, col. 1982.
  • L. Bürchner, RE XI (1922) s.v. αἱ Κολωναί (2), coll. 1100.
  • J.M. Cook, The Troad (Oxford, 1973) 216–21.
  • R. Hodot, Le dialecte éolien d'Asie: la langue des inscriptions, VIIe s. a.C.-IVe s. p.C. (Paris, 1990).
  • S. Hornblower, A Commentary on Thucydides Vol. 1 (Oxford, 1991).
  • C. Carusi, Isole e Peree in Asia Minore (Pisa, 2003) 35–7.
  • S. Mitchell, 'Kolonai' in M.H. Hansen and T.H. Nielsen (eds.), An Inventory of Archaic and Classical Poleis (Oxford, 2004) no. 782.
  • S. Radt, Strabons Geographika: mit Übersetzung und Kommentar Vol. VII (Göttingen, 2008).