ゲイルスポート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。小山大山 (会話 | 投稿記録) による 2015年7月8日 (水) 00:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ゲイルスポート
画像の提供が依頼されています(Up / Com
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1979年4月22日
ノーザンテースト
レディダイヴァ
母の父 Creme dela Creme
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 社台ファーム早来
馬主 ターフ・スポート
調教師 阿部新生美浦
競走成績
生涯成績 27戦5勝
テンプレートを表示

ゲイルスポートは、日本競走馬。1200メートルの競走で残り20メートルまで先頭にいながらゴール直前にして大失速を繰り返したことから、1180mのスペシャリストとも呼ばれた。

経歴

1981年12月に競走馬としてデビュー。1200mの短距離戦を3勝し、クラシック1冠目の皐月賞に出走した。このレースには華麗なる一族に属する良血馬で1979年セリで当時の日本最高価格である1億8500万円で落札されたハギノカムイオーが1番人気で出走したが、ゲイルスポートに騎乗した加賀武見は高額取引馬や血統の良い馬に闘志を掻き立てられる性格の持ち主で、逃げの競馬でデビュー3連勝を飾っていたハギノカムイオーに対し、レース前から「あいつに競馬の厳しさを心底から教え込んでやる」と公言し、ハギノカムイオーを先頭に立たせない意思を表明していた。実際にゲイルスポートはレーススタート直後から先頭に立ち、レース中盤で失速し20頭中19着に敗れたものの、先頭に立って逃げることができなかったハギノカムイオーもまた16着に敗れた。ゲイルスポートと加賀のコンビは続く東京優駿トライアルのNHK杯でもハギノカムイオーに逃げを許さず、結果的にハギノカムイオーは12着に敗れ東京優駿への出走を断念することになった。皐月賞とNHK杯のレースぶりから、ゲイルスポートは「良血馬ハギノカムイオーを惨敗に追いやった天敵」として競馬ファンに広く認識されることになった。

その後ゲイルスポートは東京優駿に出走せず、短距離のレースに出走した。1982年7月にはBSN杯を優勝。重賞競走でも同年のCBC賞で3着、翌1983年スプリンターズステークスで4着と健闘を見せた。スプリンターズステークス出走後挫石を発症してからは成績が低迷し、条件戦を1勝したのみで1984年9月のレースを最後に競走馬を引退した。

血統表

参考文献

外部リンク