クリウス氏族

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クリウス氏族(クリウスしぞく)は、古代ローマプレブスの家系である。

この氏族が初めて現れるのは紀元前3世紀の初頭で、マニウス・クリウス・デンタトゥスの登場によって名族となった[1]

個人名[編集]

クリウス氏族の個人名で最も多いのはマニウスではあるが、ガイウスやクイントゥスといった名も見られる。カエサル配下の将軍にウィビウス・クリウスという名があるが、クリウス氏族なのか、ウィビウス氏族なのかはっきりしない。

派生した家名[編集]

フォリーニョのトリンチ宮殿に描かれたデンタトゥス

この氏族に見られる家名はただ一つ、デンタトゥスで、「歯がある」の意である。そもそもは大きく、立派な歯を持つ誰かを指すのだろうが、クリウス・デンタトゥスは生まれた時、既に歯が生えていたためにこのあだ名がついたと言われている[2]

メンバー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『ギリシア・ローマ伝記神話辞典』, ウィリアム・スミス, Editor.
  2. ^ 大プリニウス, 『博物誌』, vii. 15.
  3. ^ リウィウス, 『ローマ建国史』, xxxii. 7.
  4. ^ キケロ, 『弁論家について』, i. 39, 56, 57, ii. 6, 32, 54; 『ブルトゥス宛書簡』 39, 52, 53, 73, 88; 『カエキーナ弁護論』, 18; 『トピカ』, 10.
  5. ^ 吉原 達也, 西山 敏夫, 松嶋 隆弘, 『リーガル・マキシム ― 現代に生きる法の名言・格言』,p105-106
  6. ^ キケロ, 『友人・家人宛書簡集』, xiii. 49; Post 『元老院での帰国感謝演説』(Post Reditum in Senatu), 8.
  7. ^ キケロ, 『友人・家人宛書簡集』, vii. 23-26, viii. 5, 6, xiii. 7, 17, 50, xvi. 4, 5, 9, 11; 『アッティクス宛書簡集』, vii. 2, 3, xvi. 3.
  8. ^ キケロ, 『ピリッピカ』, v. 5, viii. 9.
  9. ^ キケロ, 『反逆罪の被告ラビリウス弁護』, 3; 『ラビリウス・ポストゥムス弁護』, 2, 17.
  10. ^ キケロ, 『ラビリウス・ポストゥムス弁護』, 2, 17.
  11. ^ キケロ, 『選挙運動備忘録』, 3; In Toga Candida, p. 426; 『アッティクス宛書簡集』, i. 1.
  12. ^ アスコニウス・ペディアヌス, In Toga Candida, p. 95, ed.
  13. ^ ガイウス・サッルスティウス・クリスプス, 『カティリーナの陰謀』, 17, 23, 26.
  14. ^ アッピアノス, 『内乱記』, ii. 3.
  15. ^ アッピアノス, 『内乱記』, v. 137.
  16. ^ カエサル, 『内乱記』, i. 24.
  17. ^ キケロ, 『アッティクス宛書簡集』, ii. 20, ix. 6.
  18. ^ クインティリアヌス, 『弁論家の教育』, vi. 3 § 73.
  19. ^ 『ローマ皇帝群像』, Maximinus et Balbinus, 4.

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