ラティフンディウム

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ラティフンディウムラテン語:latifundium)は、古代ローマにおける奴隷労働に頼った大土地経営である。

ラティフンディウムの概要[編集]

第2ポエニ戦争後の、古代ローマの支配領域拡大期において、属州で広く行われた。ローマが新たな領土を獲得した際に、多くの農地が国有地としてローマが所有する事となった。その国有地はローマ市民に貸し出されたが、その多くは奴隷を多数所有、あるいは新たに購入できる貴族が借り受けた。そして貴族は実質上の大土地所有者となった。

形成期には奴隷による反乱が頻発した。

全ての貴族が大土地所有者となった訳ではなく、ラティフンディウムの利が得られず没落する貴族もいれば、平民でラティフンディウムに参画し経済的にのし上がった者もいる。これによりローマの貴族階級は、従来の貴族層であるパトリキに、従来の平民から勃興した階層を加え、新貴族階層であるノビレスの形成を見る。

ラティフンディウムでは主に、果樹や穀物が生産されたが、その目的が自給生産か商品生産かはまだ学会でも意見が分かれている(その双方、とも考えられる)。

ラティフンディウムの与えた影響[編集]

ラティフンディウムによって安価な食糧生産が可能になり、ローマに富が蓄積した。

一方で、ポエニ戦争で疲弊していた中小農民の没落に拍車をかけた。奴隷無しの家族経営、あるいは1人か2人の奴隷を使っての自作農は、安価な奴隷を大量に使役するラティフンディウムに対して、経営コスト的に太刀打ちができなくなった。彼らの多くは土地を失い、無産市民としてローマに流入し、大きな社会問題となった。

グラックス兄弟はこの問題に対処すべく、貴族による国有地の借り受けに制限を加え、多くの市民に配分する事を中心とした改革を実行しようとするが、元老院の反発によって挫折する。後にガイウス・マリウスは、無産市民を軍隊に吸収する事(マリウスの軍制改革を参照)によって解決した。さらにガイウス・ユリウス・カエサルは「ユリウス農地法」によって救済する。

とはいえ、大貴族と一般市民の不平等の解消については、いわゆるパンとサーカスによる所も大きい。これによりローマ市民は、ラティフンディウムによる収益の分け前を受け取る事となり、古代ローマの社会全体として奴隷の労働がローマ市民の生活を支える構造が生まれた。

ラティフンディウムのその後[編集]

奴隷を労働力に頼ったラティフンディウムは、征服地の減少に伴う奴隷供給の低下とともに経営が行き詰まった。従来、安価な奴隷を使い捨てのように酷使して多大な収益を上げてきたのだが、奴隷が高価になると使い捨てる事が不可能になったのである。

そのため、奴隷の代わりに没落農民を労働力とする「コロナートゥス」の制度が代わって属州で進行する。これがやがて中世における農奴制へとつながっていく。