ギーゼラ・フォン・エスターライヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。美節子 (会話 | 投稿記録) による 2015年10月10日 (土) 12:57個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (本文加筆等。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ギーゼラ大公女

ギーゼラ・ルイーゼ・マリー・フォン・エスターライヒドイツ語: Gisela Louise Marie von Österreich, 1856年7月12日1932年7月27日)は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトの第2皇女。ルドルフ皇太子マリー・ヴァレリーの姉。

ウィーン近郊のラクセンブルクで生まれる。妊娠中の母エリザベートは、「今度こそ皇太子を」とのプレッシャーに襲われた。生後10ヶ月の時に両親と姉ゾフィー皇女とともにブダペストへ移る。その際、発熱や下痢はあったが、無事ウィーンへ戻った。幼少期は祖母ゾフィーに弟ルドルフと共に育てられたため、母エリーザベトにはなつかなかった。

1873年にバイエルンの摂政王子ルイトポルトの次男で、後のバイエルン王ルートヴィヒ3世の弟であるレオポルト王子と16歳で結婚した。この時、母エリーザベトは「16歳で結婚は早すぎる」と夫フランツ・ヨーゼフ1世に母として親心を見せたりもした。

夫レオポルトとの夫婦仲は良好で、間に以下の2男2女をもうけた。

母エリーザベトの死後、遺産の5分の2を相続した。1932年にミュンヘンで死去し、聖ミヒャエル教会で夫レオポルトの傍らに葬られた。