ギーゼラ・フォン・エスターライヒ
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ギーゼラ・フォン・エスターライヒ Gisela von Österreich | |
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出生 |
1856年4月22日 オーストリア帝国、ラクセンブルク |
死去 |
1932年7月27日(76歳没) ドイツ国、ミュンヘン |
埋葬 | ドイツ国、ミュンヘン、聖ミヒャエル教会 |
配偶者 | バイエルン王子レオポルト |
子女 |
エリーザベト アウグステ ゲオルク コンラート |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | フランツ・ヨーゼフ1世 |
母親 | エリーザベト・フォン・ヴィッテルスバッハ |
宗教 | キリスト教カトリック |
ギーゼラ・ルイーゼ・マリー・フォン・エスターライヒ(ドイツ語: Gisela Louise Marie von Österreich, 1856年7月12日 – 1932年7月27日)は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトの第2皇女。ルドルフ皇太子とマリー・ヴァレリーの姉。
生涯
[編集]ウィーン近郊のラクセンブルクで生まれる。妊娠中の母エリザベートは、「今度こそ皇太子を」とのプレッシャーに襲われた。生後10ヶ月の時に両親と姉ゾフィー皇女とともにブダペストへ移る。その際、発熱や下痢はあったが、無事ウィーンへ戻った。幼少期は祖母ゾフィーに弟ルドルフと共に育てられたため、母エリーザベトにはなつかなかった。
1873年にバイエルンの摂政王子ルイトポルトの次男で、後のバイエルン王ルートヴィヒ3世の弟であるレオポルト王子と16歳で結婚した。この時、母エリーザベトは「16歳で結婚は早すぎる」と夫フランツ・ヨーゼフ1世に母として親心を見せたりもした。
夫レオポルトとの夫婦仲は良好で、間に以下の2男2女をもうけた。
- エリーザベト(1874年 - 1957年) - ゼーフリート・アウフ・ブッテンハイム男爵オットーと結婚。
- アウグステ(1875年 - 1964年) - オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストと結婚。
- ゲオルク(1880年 - 1943年) - オーストリア大公女イザベラと結婚し、後に離婚。
- コンラート(1883年 - 1969年) - ジェノヴァ公女ボナ・マルゲリータと結婚。
母エリーザベトの死後、遺産の5分の2を相続した。1932年にミュンヘンで死去し、聖ミヒャエル教会で夫レオポルトの傍らに葬られた。