ギョクチェアダ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Takabeg (会話 | 投稿記録) による 2012年2月19日 (日) 03:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ギョクチェアダ島

ギョクチェアダ島
所在地 トルコの旗 トルコ
所在海域 エーゲ海
座標 北緯40度09分 東経25度50分 / 北緯40.150度 東経25.833度 / 40.150; 25.833
面積 279 km²
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
位置

ギョクチェアダトルコ語:Gökçeada、ギリシャ語:イムヴロス島 Ίμβρος – Imvros)は、トルコの島。かつてはイムロズ島 (İmroz Adası)が公式名称であったが、1970年7月29日付8479号閣議決定によりギョクチェアダに改名された。[1]チャナッカレ県に属し、サロス湾の入り口にある。島全体の人口は8,875人(2000年)。多数がトルコ人であるが、300人ほどのギリシャ人も暮らしている。最大の町はギョクチェアダ。観光と漁業が主であるが、ブドウ栽培とワイン醸造で知られている。

歴史

ギリシャ神話では、アキレウスの母テティスの宮殿があった島とされる。古代にはアテナイの植民地であった。

ダーダネルス海峡に近い軍事的要所であるため、1913年にバルカン戦争終結後にエーゲ海の島々がギリシャへ割譲されても、オスマン帝国はイムロズを手放さなかった。

1920年、セーヴル条約によってオスマン帝国からギリシャ王国へ割譲された。1927年当時、島の人口の97.5%をギリシャ人が占めていた。希土戦争でギリシャがアナトリアで敗退すると、親ギリシャであったイギリス首相デビッド・ロイド・ジョージが退陣、イギリスの中東政策が変更された。西側列強はトルコ共和国ローザンヌ条約を結び、イムロズ島をトルコへ割譲した。この際に、多くの在トルコのギリシャ人が出国していった。

著名な出身者

出典

  1. ^ İdris Bostan, Ege Adaları'nın İdarî, Malî ve Sosyal Yapısı, Stratejik Araştırma ve Etüdler Milli Komitesi (SAEMK), 2003, p. 181. (トルコ語)

外部リンク