ガリア・キサルピナ
ガリア・キサルピナ(ラテン語:Gallia Cisalpina ガッリア・キサルピナ)とは共和政ローマにおける属州の名前。ラテン語でローマ側から見て「アルプスのこちら側のガリア」という意味である。
その名の通り、ガリア・キサルピナは現在で言えば北イタリア(現在のエミリア・ロマーニャ州、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、リグリア州、ロンバルディア州、ピエモンテ州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州、ヴェネト州)に相当する地域である。またの名で『ガリア・キテリオル(こっち側のガリア)』、『プロウィンキア・アリミヌム』、『ガリア・トガタ(トガをまとった=ローマ化したガリア)』とも呼ばれる。なお、「アルプスの向こう側のガリア」はガリア・トランサルピナ、キサルピナおよびトランサルピナより更に北側のガリアは「ガリア・コマタ」と呼ばれた。
北の境界線はアルプス山脈、南はポー川北岸とする。属州の首都はムティナ(現モデナ)であった。紀元前58年にガリア・キサルピナ属州総督となったガイウス・ユリウス・カエサルはガリア・キサルピナを拠点にしてガリア戦争へ乗り出している。
ガリア・キサルピナは紀元前43年から42年頃にオクタウィアヌスによってイタリア本土へ統合された。