オルドス高原
オルドス高原(オルドスこうげん)またはオルドス盆地(オルドスぼんち、中国語: 鄂爾多斯盆地、英語: the Ordos Basin)あるいは陝甘寧盆地(せんかんねいぼんち、中国語: 陕甘宁盆地)、英・独・仏語などではよくオルドス高原(英語: the Ordos Plateau)[1]またはオルドス地方(モンゴル語:ᠣᠷᠳᠣᠰ Ordos、オルドスちほう、鄂爾多斯)と呼ばれる地域は、中国・内モンゴル自治区南部の黄河屈曲部で、西・北・東を黄河に、南を万里の長城に囲まれた地方。
黄河上・中流が「几」の字のような形で大きく時計回りに湾曲して流れて、黄土高原を削ってできた大きな盆地で、内モンゴル高原の南にあり、東北西は黄河に囲まれて、南は長城を境としていて(漢代の長城は楡林市を通っていた)、黄土高原に接している。位置は北緯37度20分~40度50分、東経106度24分~111度28分にあり、面積は12万平方メートルに及んでいる。大部分が海抜1500メートル前後の高原(準平原)で、南側は黄土高原に続く。
行政区分としてはイフ・ジョー(伊克昭)盟が2002年にオルドス市となり、オルドス地方の大半を占める。黄河対岸(北側)の河套平原なども含め、河套(かとう)ともいう。のように呼ばれる地域は、中国の陝西省、甘粛省、寧夏回族自治区、山西省、内モンゴル自治区にまたがる地域を指す。
オルドス[2]という地名はこの地に住み着いたモンゴル人の部族「オルドス部」に由来する。それよりはるか前、旧石器時代から人が住み、特に紀元前6世紀から2世紀にかけて遊牧騎馬民族によるオルドス青銅器文化が栄えた。匈奴、趙、秦、漢によって次々に征服され、南部には万里の長城が築かれた。その後も匈奴系や突厥系などの遊牧民が住み、遊牧民族王朝(遼、西夏、元など)あるいは中華王朝(唐、明など)による支配を受けた。清代から漢族が入植し、現在の住民は漢族が多い。
参考項目
脚注
- ^ オルドス高原(コトバンク)
- ^ 「オルドス」とは、モンゴル語の「オルド」に由来している。