オットー・ディクス

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オットー・ディクス
Otto Dix
1957年、ベルリン芸術アカデミーでのディクス(写真右)。左は当時のアカデミー会長のオットー・ナーゲル
誕生日 1891年12月2日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国 ウンテルムハウス
死没年 (1969-07-25) 1969年7月25日(77歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツ ジンゲン
国籍 西ドイツの旗 西ドイツ
運動・動向 新即物主義
芸術分野 絵画版画
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オットー・ディクスOtto Dix, 1891年12月2日 - 1969年7月25日)はドイツの新即物主義画家

生涯

ゲーラ近郊のウンテルムハウスde)に生まれる。大戦前後を通じてドレスデンにて美術を学ぶ。第一次世界大戦に従軍。戦争の悲惨さや、戦後ドイツの頽廃した社会情勢をグロテスクともいえる生々しさで表現する。また数多くの肖像画を残すがそれらも現実を徹底的に直視する写実精神をもって描かれている。

1927年、ドレスデン美術アカデミー教授となるが、1933年ナチスの政権掌握後、解雇された。また1937年頽廃芸術展(Entartete Kunst)に多くの作品が展示され、翌1938年には彼の260もの作品が公的コレクションから押収された。

第二次世界大戦中は国民突撃隊に招集され従軍するが終戦間近にフランス軍捕虜となり、1946年2月に解放された。

解放後はソ連占領下のドレスデンを中心に活動を再開するも、1949年に州立シュトゥットガルト芸術アカデミー(de)の教員として招かれて以降西ドイツに活動の場を移す。1969年、卒中によりジンゲンen)にて死去。

代表作

  • 『戦争』
  • 『塹壕:Grabenkrieg -1932年-』

関連項目

外部リンク