エドモンド・ヒラリー
サー・エドモンド・ヒラリー | |
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晩年のヒラリー(2007年3月撮影) | |
生誕 |
1919年7月20日 ニュージーランド 北島、ツアカウ[1] |
死没 |
2008年1月11日(88歳没) ニュージーランド オークランド |
職業 | 登山家、冒険家 |
配偶者 |
ルイス・メアリー・ローズ (1953-1975) ジェーン・マルグリュー (1989-2008) |
エドモンド・ヒラリー(英語:Edmund Hillary、KG、ONZ、KBE、1919年7月20日 - 2008年1月11日)はニュージーランドのオークランド出身の登山家、冒険家である。オークランド・グラマー・スクール卒業。なおヒラリーは騎士(Knight)に叙された「サー」(Sir)であり、貴族(Lord)ではない。サー・エドモンド・ヒラリー、エドモンド・ヒラリー卿とも称される。存命中よりニュージーランドの銀行券5ドル紙幣の肖像に採用されている。
来歴
本業は養蜂業。幼少時は虚弱児だったが巣箱を運ぶ作業の中で足腰が鍛えられ、190cmという長身に加え強靭な心肺機能を持つ登山家としての活動に適した体が作られたという。
1953年5月29日午前11時半、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに世界で最初に登頂に成功した。
エベレスト挑戦までに20,000フィート(6,096メートル)以上の高峰を11座制していた。
エベレスト登頂後はイギリスの南極横断遠征隊に参加し、1958年にはトラクターで南極点に到達した。
1953年7月16日にイギリス王室より騎士叙勲を受ける。1995年4月23日に英国最高勲章であるガーター勲章を授与された。
2003年7月、ニュージーランドの最高峰アオラキ/マウント・クック(3,754m)の麓にある山岳リゾートホテル、ハミテージ・ホテル前に彼の銅像が建てられた。また5ニュージーランド・ドル紙幣の肖像となっている。
また慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、ネパール・ナムチェバザール地区の開発に力を注ぐ。この地区に彼が1960年に建設したクムジュン小学校の校庭にもヒラリーの銅像がある。1975年、ネパール滞在中の彼の元に向かっていた妻と次女を飛行機事故で失う。
晩年はニュージーランドで再び養蜂業を営む。1989年にジェーン・マルグリューと再婚(彼女の前夫ピーター・マルグリューはヒラリーの登山家仲間で、1979年にニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故で死去)。2008年1月11日に心臓発作により88歳で死去。同年1月22日にオークランドにて国葬が行われ、遺灰は遺言によりオークランドの海に撒かれた。
息子は冒険家のピーター・ヒラリー。ピーターは2002年に、エベレスト登頂50周年を記念してテンジン・ノルゲイの孫、タシ・ワンチュク・テンジンとともにエベレストに登頂に成功した。