イトマン
イトマン株式会社は、かつて日本に存在していた総合商社である。1990年までは伊藤萬株式会社と表記した。愛媛県四国中央市にある同名の製紙メーカーとは無関係である。
概要
1883年(明治16年)に心斎橋で、羽州屋高田久右衛門から暖簾分け、「羽州屋」(うしゅうや)として舶来品(唐物)を扱う繊維商店として設立したのが始まり。その後、創業者・初代伊藤萬助にちなみ「伊藤萬商店」、「伊藤萬(いとうまん)」と社名を改めた。
1919年(大正8年)、初代伊藤萬助の息子である2代目伊藤萬助(卯三郎)が社長になる。その弟の伊藤萬治郎と共に大正末期から昭和初期にかけて「天下のイトマン」といわれるほどの会社となる。
戦後は織物・繊維製品を中心とした繊維商社として運営し発展を遂げ、実質的に住友銀行の商社部門として機能。2代目伊藤萬助の娘婿の伊藤寛が関西経済同友会の代表幹事になる。東証、大証1部上場企業(証券コード8009)として順調に発展を続けてきていた。
しかし、1973年(昭和48年)のオイルショックで収益が急速に悪化した。メインバンクの住友銀行(現:三井住友銀行)は、河村良彦常務を伊藤萬の社長に送り出し、4代目社長の伊藤寛は代表権のない会長に退く。河村は社長就任後、従来の繊維商社から総合商社として早々と再建した。
1991年(平成3年)1月1日付をもって片仮名の「イトマン」に社名を改めた。
住友銀行頭取の磯田一郎から平和相互銀行の内紛株買戻しの資金援助要請を受け泥沼に入り込み、平成初期に発覚した一連の伊藤萬事件(イトマン事件)の影響で経営破綻。1993年(平成5年)に住金物産(現:日鉄物産)に吸収合併され110年間の歴史に幕が下ろされた。
なお、かつての子会社である水泳教室のイトマンスイミングスクールは、イトマンから独立してナガセ系列に入り、2020年(令和2年)現在も全国で展開しているほか、ナガセがブリヂストングループのブリヂストンスポーツより買収したブリヂストンスポーツアリーナをイトマンスポーツスクールに改称、同社傘下の水泳教室でもイトマンスイミングスクールのブランドを展開するなどイトマンの名称の使用を拡大している。また、四国の製紙会社のイトマン株式会社や沖縄県糸満市とは無関係である。
かつての提供番組
- JNN報道特集
- サンデーピアス
- JNNおはようニュース&スポーツ(関東ローカル)
※提供クレジットはイトマングループであり、社名変更後はITOMAN GROUPとクレジットされた。
関連項目・人物
- イトマン事件
- イトマンスイミングスクール
- マイケル・J・フォックス:イトマンへ社名変更後にCMに起用された俳優。
- 伊藤萬助 (初代)
- 伊藤萬助 (2代目)
- 伊藤萬治郎
- 伊藤良三
- 伊藤豊四郎
- 伊藤寛
- 伊藤寿永光
- 高田久右衛門
- 山口竹治郎
- 鈴木義雄 (鈴屋)